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最終目的地

2012年10月26日 | 洋画(12年)
 『最終目的地』をシネマート新宿で見ました。

(1)『眺めのいい部屋』(1986年)とか『ハワーズ・エンド』(1992年)を製作したジェームズ・アイヴォリー監督の作品であり、また真田広之が出演することもあって、映画館に行ってみました。

 物語は、アメリカの大学で文学を学んでいる若いオマーオマー・メトワリー)が、わずか1冊の著作を残して自殺してしまったウルグアイの小説家ユルス(映像は一度も出てきません)の伝記を書こうとして、遺族の公認を獲得すべく南米に飛びます。
 ただ、小説家の住んでいた屋敷には、今では、小説家の兄アダムアンソニー・ホプキンス)やその同性愛の愛人ピート真田広之)、さらには小説家の正妻キャロラインローラ・リニー)、そして小説家の愛人アーデンシャルロット・ゲンスブール)の女まで同居しているのです。
 そんな中にアポも取らずにいきなり飛びこんだオマーは、伝記を書くことの許可を得ようとするものの、小説家の妻キャロラインが頑なに拒否し続けます。
 オマーは、許可が得られないとすべてがパーになってしまうため頑張るところ(注1)、さあいったいどうなるでしょうか、……?

 かなり複雑なシチュエーションの上に、さらにオマーの恋人ディアドラアレクサンドラ・マリア・ララ)まで南米にやってきて一層混乱が増したりして、なかなか興味深い文芸作品でした。

 小説家の兄の役を演じるアンソニー・ホプキンスは、『羊たちの沈黙』(1991年)とか『ハワーズ・エンド』などでしか見ておりませんが、70歳を超えてもその存在感に陰りはみられません(注2)。



 その愛人役の真田広之も、最近では『上海の伯爵夫人』(2005年)で見たくらいですが、がっしりとした体つきもあって、他の俳優に少しも引けを取らない演技を見せています。

 キャロラインを演じるローラ・リニーは、『イカとクジラ』(2005年)で見ましたが、本作でもうかがえるようにインテリ女性の役柄に向いているような感じです。



 アーデン役のシャルロット・ゲンスブールは、『メランコリア』での演技が印象に残っていますが、意志の強い女に支配される女という役柄にうってつけなのかもしれません(『メランコリア』の場合は、奔放な主人公ジャスティンの姉クレアの役でした)。



(2)オマーが出現するまでの小説家ユルスの家の中は、その死後、かなりの緊張を孕んでいるにせよ、一応は平静に毎日の生活が営まれてきたようです。

 アダムは、ピートと25年もの間一緒に生活してきました(注3)。ただ、いつまでも彼を自分のもとに縛りつけていたらその人生がダメになってしまうと考え、自分が年老いてしまった今こそ、彼に資金を与えて自立してもらいたいと考えています。
 キャロラインは、教養豊かな女性で、日頃から、絵を描いたりレコードでオペラを聴いたりして暮らしています。ですが、こんな田舎ではなく文化的なものに溢れる大都市で生活したいと考えています。
 アーデンも、ユルスとの間にできたポーシャという娘がいることでもあり、物静かに暮らしています。でも、キャロラインの尻に敷かれるような生活からなんとか脱却したいと考えているようです(注4)。

 そんな状況の中に、オマーがいきなり何の前触れもなしに登場するのです(注5)。



 そのことによって、それまで皆が保ってきた状況が徐々に変化し出します(注6)。

 オマーがアダムに伝記のことを話したところ、直ちにアダムは賛成し、他の2人の説得にも協力しようと言い出しますが、交換条件を持ち出します(注7)。
 また、最初は反対していたアーデンも、次第に賛成してくれます。ただ、その背景には、互いに相手に好意を抱いてしまったことがあるようです(注8)。
 さらに、なかなか認めようとしなかったキャロラインは、アダムの説得が功を奏したのか、結局は賛成してくれます。

 そうした経緯があったあと、最終的には、ピートはこの家の農園の三分の一を譲り受けて経営することとなり(無論、アダムはこの家に残っています)、キャロラインはニューヨークに移り住み(注9)、そしてアーデンは、オマーと結婚することになりウルグアイで生活することになります。

 こうしてみると、この映画は、飛躍し過ぎでお叱りを受けそうですが、内生変数(GDPや物価水準など)の間で一定の均衡状態にあった経済モデルが、ある外生変数(為替相場や技術革新など)の変化によって動かされて、別の均衡状態に至るという、いわば“経済動学”的なシチュエーションを実に的確に描き出したものと言えるかもしれません(注10)。

(3)渡まち子氏は、「新しい何かを手に入れるためには、今持っている古い何かを捨てねばならない。互いに惹かれあうアーデンとオマーだけでなく、誰もが自分の居場所をみつけるラストには、愛憎入り乱れる人間関係の不可思議と共に、柔らかな希望も。人生の機微を知る大人のための物語だ」として65点を付けています。



(注1)よくは分からないのですが、大学院の博士課程にいるオマーは(大学の講師でもあるようですが)、ユルスの伝記を書いて出版するということで研究奨励金を大学より取得していたのですが(当然、遺族の承認は得ているとして)、遺族の承認が得られなければ、偽りの申請を提出したことになってしまい、研究奨励金は返還しなくてはならず、さらには嘘をついたということで大学に残ることもできなくなってしまうのでしょう。

(注2)映画の製作年は2008年とされていて、アンソニー・ホプキンスは、その生年が1937年ですから、70歳を越えたばかりだったのかもしれません。

(注3)映画では、ピートは徳之島生まれで、その後14歳で英国に渡り、そこでアダムと出会ったとされています(現在45歳くらい)。
 なお、原作(ピーター・キャメロン作)ではピートは28歳で、アダムと出会ったのが20歳の時とされているようです。
 あるいは、1960年生まれの真田広之にあわせて、映画では、25年もの長い間アダムと一緒の生活を営んでいたことにしたのかもしれません(映画製作時においては、真田は48歳くらい)。

(注4)映画では、アデーンは、18歳の時に、ユルスによってスペインからウルグアイに連れてこられたようです(すでに両親は飛行機事故で死亡しているとのこと)。
 なお、原作ではアーデンは、元々が米国生まれとされているようで、とすれば、オマーがユルスの家で最初に出会った時に、簡単に話が通じたのも自然なことになります。

(注5)といっても、少し前にオマーは、ユルスの遺族(アダムたち)に手紙を書いて、伝記を書くことの許可を求めているのですが(その手紙に対しては、拒否の返事を遺族はオマーに送っています。それで、今回、オマーが直接交渉にやってきたというわけです←そのこと自体は、ディアトラが言い出したことながら)。

(注6)上記「注1」で触れたように、ユルスの伝記が書けなければ、オマーは、すべてを失ってこの先もディアドラに頼っていかなくてはならなくなってしまい(ディアドラは、普通でなくてもかまわないと言うのですが)、それが耐えられないのだと思われます。
 ですから、その登場で彼らの生活を変えてしまうオマーですが、彼こそが現在の生活を変えたいと一番願っている感じなのです。一緒に行こうかというディアドラの申し出を断って独りでウルグアイにやってきたのも、一人立ちしたいという強い決意からです。

(注7)すなわち、アダムは、母とナチス・ドイツからウルグアイに逃げる時に持ち出したたくさんの宝石を、オマーに米国で売り捌いてほしいと、オマーに要求します(それで得た資金を、ピートの自立のために使いたいからと言って)。
 オマーは承諾したものの、その話を聞いたディアドラは、それは密輸に相当するのだから認めるべきではないと主張し、アダムにもそのように言ってしまいます。
 それに、ピートも、そんな資金よりも、この家に付いている農園の一部を譲ってもらいたいと言い出します。

(注8)意志の強いディアドラの呪縛から逃れて独り立ちしたいと思っていたオマーと、ユルスという後ろ盾を失って心が弱くなっていたアーデンとが、ポーシャを介して最初に出会った時に、なんとなく互いに好意を感じてしまった様子です。
 そのことを見てとったキャロラインが暗にアーデンを詰ると、逆にアーデンは、表向きオマーには「愛していない」と言いながらも、内心の火は大きくなっていたのかもしれません。
 二度目に、これまた突然オマーがウルグアイに現れたとき、最初はオマーを追い返すものの、アダムに促されてもう一度オマーがやってくると、心から彼を受け入れるのでした。

(注9)マドリードのオペラ劇場で、オマーとは別の恋人を連れたディアドラは、彼女が知らない男性と一緒に観劇に来ているキャロラインに出会います。

(注10)本作になぞらえてみるなら、内生変数(アダム、ピート、キャロライン、アーデン)の間で一定の均衡状態(ユルスの家での生活)にあった経済モデルが、ある外生変数の変化(オマーの登場)によって動かされて、別の均衡状態(異なる生活環境:最終目的地!)に至る、というように考えてみてはどうでしょうか。



★★★★☆




象のロケット:最終目的地


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6 コメント

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無縁ではあるが (milou)
2012-10-27 09:50:22
何が面白かったというのは難しいがなかなか面白かったです。とはいえ想像も付かない世界の話で、へぇ~と感心するばかりですが。
あの土地がどれぐらいの広さで、どれぐらいの価値があるか分からないが彼らは大昔の王侯貴族のように優雅な暮らしをしているようでもあり、金に困っているようでもあり、あの宝石にしても見た感じではそれほど高価にも見えず(もちろん僕は門外漢だが)…

ちなみに(注9)ですが2人が現在住んでいるのはNYCでうが出会った劇場はマドリードです。
あのあとキャロラインがディアドラに連絡する可能性はすくないだろうが“愛想が良くなった”と嫌悪していたディアドラを認めるところで終わるが、2人が似たもの同士であることは確かなので意外と仲良くなれるかも。
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お礼 (クマネズミ)
2012-10-28 21:05:11
Milouさん、コメントをありがとうございます。
ディアドラとキャロラインが出会った劇場については、うろ覚えのまま書いてしまいました。早速訂正しておきます。ありがとうございます。
確認しようと書店で原作(新潮クレストブック)を立ち読みした際に、ニューヨークとあったので、そうだったかもしれないと思ってしまいました。
なお、原作の場合、二人の出会いはそれほど親密そうでもなく、その後連絡を取り合うこともなさそうな雰囲気ですが、映画からすれば、milouさんがおっしゃるように、あるいは「仲良くなれるかも」しれませんね!
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Unknown (よっしゃあ)
2012-10-29 17:24:22
South South Americaは久しぶりなので観に行って見ます。こういうレビューはありがたいです。では。
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お礼 (クマネズミ)
2012-10-30 21:34:52
「よっしゃあ」さん、コメントをありがとうございます。
是非、映画をご覧になってご感想をお知らせください。
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記事内容と毛ほども関係ない (ふじき78)
2013-05-12 08:09:19
・・・のですが、一つ前のコメントの「よっしゃあ」さんが「えっしゃあ」さんだったら騙し絵とか書くのかなとか凄く無駄な事を連想しました。
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Unknown (クマネズミ)
2013-05-12 11:29:49
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「ほっしゃん。」を連想したら、無駄の度合いは一層増すことでしょう!
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