
『私の中のあなた』で好演したキャメロン・ディアスが出演するというので、『運命のボタン』を日比谷のTOHOシネマズ・スカラ座で見てきました。
(1)映画は、1976年12月 のある日、ルイス家のノーマ(キャメロン・ディアス)が呼び鈴に応じて入口のドアを開けると、玄関先には奇妙な箱が置かれていた(このことから、映画の原題は「The Box」となっています)、というところから始まります。
その箱の中には、「Mr.Steward will call upon you at 5:00p.m.」と書かれている手紙が入っていて、実際にその時間に、顔の半分が焼けただれて失われているスチュワードと名乗る男性が現れ、「この箱についているボタンを押せば、あなたの知らない人がどこかで死ぬが、あなたは100万ドルを手にすることができる。ただし、ご主人以外の人にはしゃべってはならず、また猶予の時間は24時間だけ」と言って立ち去ります。
さあ、そんな事態に追い込まれたらあなたはどうするでしょうか、というわけです。
なかなか面白い導入の仕方であり、その後のキャメロン・ディアスの好演もあって、最後まで映画にひきつけられます。
ですが、この映画には、様々な問題があるのでは、と思われます。
イ)映画全体からは近未来の雰囲気が濃厚に漂っているものの、実際は、その時代設定を30年以上も前の「1976年」としているのです。
これは、1976年に、アメリカの火星探査機バイキング1号から切り離された着陸機が、世界で初めて火星に着陸して地表の写真を撮影した、という事実を踏まえてのことなのでしょう。
そして、スチュワードの顔が変形しているのは、そのバイキングから最初の送信があった直後に雷に打たれたせいだとされています。
加えて、被雷した際に、エイリアンが彼の体に入り込んだようなのですが、そのエイリアンは、箱の装置を使って、人類が生存させておく価値のある生物なのかどうか判定しようとしているのです。
ですが、その判定の基準がいわゆる道徳律めいていて、その馬鹿馬鹿しさにすっかり白けてしまいます。要すれば、人類は、利他的な行動をする生き物なのか、利己的な行動しかできない生き物なのかというわけなのでしょう。
しかし、そんな詰らない基準による判定など、エイリアンごときにしてもらいたくないものです!まさに人類の勝手でしょう!
また、エイリアン自体は実際には登場しませんが、この話がとても30年前のものだとは思えないのも、背後にその存在が前提とされていることにもよっています。
ロ)そもそも、ギリギリの窮地に追い詰められてもいない一般の人が、高額のお金が得られるからと言って、簡単に殺人に手を貸すようなことをするものでしょうか?
まして、夫はNASAで働いており、また妻も高校教師というルイス家のような健全な一家で、それも小奇麗な家に住んでいながら、同じ高校に通う息子に対する授業料優遇措置の適用が受けられなくなると、途端にお金が必要だとして、ノーマや夫が箱を前にアレコレ悩んでしまうものでしょうか?
ハ)その上、そうした選択をしてしまうと、更なる選択が迫ってくるのです。突然、息子に異変が起こり、目が見えず耳も聞こえなくなってしまいます。その時に、スチュワードが再び現れて、別のより厳しい選択肢を提示します。すなわち、100万ドルが得られるものの息子の異変は治らない道か、息子の異変は治るがある重大事を敢行しなくてはならない道か、そのいずれかを選べと迫ります。
しかし、そんな羽目に追い込まれるとは当初の条件では何も言われておらず、後出しジャンケンのような実にアンフェアーな感じがしてしまいます。
単なるファンタジックなお話なのですから、いろいろと難癖をつけずにそのまま楽しめばいいのでしょうが、全体を道徳的な雰囲気に包みこもうとしている点が、この映画の一番いやらしいところではないかと思いました。
(2)この映画には原作があります。リチャード・マシスン著『運命のボタン』(尾之上浩司編、伊藤典夫・尾之上浩司訳、早川書房、2010.3)に収められている短編「運命のボタン」です。
とはいえ、その短編で死ぬのは、「本当にはよく知らなかった」夫であって、今回の映画とは意味合いが全く違っています。
ですから、下記の前田有一氏のように、「このエンディングを(非常にミニマムな)原作と比較すると、この短編をふくらませて映画化するならこうすべきだよねと合点がいく」などと考えずに、ぜんぜん別物だと考えるべきではないでしょうか?
というのも、肝心要の点、“一番身近だからよく知っていたと思っていたにもかかわらず、本当はよく知らなかった”という恐ろしい事実が、映画ではサッパリ描かれてはいないのですから!
そして、かわりにいかさま道徳哲学じみた雰囲気が全体に漂うわけで、「こうすべきだよねと合点がいく」どころではありません。元の短編の持っている切れ味を、錆だらけにしてしまったというべきではないでしょうか?
なお、このハヤカワ文庫の書評が、5月23日の朝日新聞に掲載されました。評者の横尾忠則氏は、「僕はホラー文学なんて一度も読んだことがなかったけれど、これが実に面白い!テンポの速い会話と、視覚表現はまるで映画だ。特に人間の五感や自然現象への眼差(まなざ)しが鋭く、ぐいぐいと肉体感覚に攻 撃を加えてくる。だから冒険小説でもないのに血が湧(わ)き肉が躍り出す。さらに体の奥で惰眠をむさぼっていたアンファンテリズム(幼児性)がにわかに目 を覚まし原初的な死の恐怖と快感がギシギシ音を立てながら開扉するその感覚がたまんない」と述べています。
(3)映画評論家は、総じて好意的にこの映画を見ているようで、
前田有一氏は、「この映画が抜群に面白いことには、おそらく誰も異論はなかろうが、私が高く評価するのはそのメッセージの普遍性の高さ」であり、「いろいろな解釈が乱れ飛ぶと思うが、私がうまいなと感じたのはこの作品が人間の身勝手な本質をこの上なくシニカルに描いている点」だとして80点もの高得点を、
渡まち子氏は、「人類滅亡さえ思わせる大掛かりな展開はアブノーマルなのだが、人間の本質と、倫理観を問うテーマは、意外にも古典的だったりする。何かをあきらめているよ うな、それでいて懸命に幸福を求めてもがくノーマを演じるキャメロン・ディアスが、いつもの明るいキャクターとは違って本格的な演技をみせて素晴らしい」として65点を、
ただ、福本次郎氏は、「無表情な視線、突然の鼻血、諜報機関の関与。追い詰められていく主人公夫婦が体験するじわじわと真綿で首を絞められるような感覚が、思わせぶりな映像の連続で再現される。ところが、彼らに“運命のボタン”を贈った謎の男の過去が明らかになるにつれ、怖さよりもばかばかしさが先に立つ」として40点を、
それぞれつけています。
このお三方の論評では、私は福本氏のものを評価したいと思います。
★★☆☆☆
象のロケット:運命のボタン
(1)映画は、1976年12月 のある日、ルイス家のノーマ(キャメロン・ディアス)が呼び鈴に応じて入口のドアを開けると、玄関先には奇妙な箱が置かれていた(このことから、映画の原題は「The Box」となっています)、というところから始まります。
その箱の中には、「Mr.Steward will call upon you at 5:00p.m.」と書かれている手紙が入っていて、実際にその時間に、顔の半分が焼けただれて失われているスチュワードと名乗る男性が現れ、「この箱についているボタンを押せば、あなたの知らない人がどこかで死ぬが、あなたは100万ドルを手にすることができる。ただし、ご主人以外の人にはしゃべってはならず、また猶予の時間は24時間だけ」と言って立ち去ります。
さあ、そんな事態に追い込まれたらあなたはどうするでしょうか、というわけです。
なかなか面白い導入の仕方であり、その後のキャメロン・ディアスの好演もあって、最後まで映画にひきつけられます。
ですが、この映画には、様々な問題があるのでは、と思われます。
イ)映画全体からは近未来の雰囲気が濃厚に漂っているものの、実際は、その時代設定を30年以上も前の「1976年」としているのです。
これは、1976年に、アメリカの火星探査機バイキング1号から切り離された着陸機が、世界で初めて火星に着陸して地表の写真を撮影した、という事実を踏まえてのことなのでしょう。
そして、スチュワードの顔が変形しているのは、そのバイキングから最初の送信があった直後に雷に打たれたせいだとされています。
加えて、被雷した際に、エイリアンが彼の体に入り込んだようなのですが、そのエイリアンは、箱の装置を使って、人類が生存させておく価値のある生物なのかどうか判定しようとしているのです。
ですが、その判定の基準がいわゆる道徳律めいていて、その馬鹿馬鹿しさにすっかり白けてしまいます。要すれば、人類は、利他的な行動をする生き物なのか、利己的な行動しかできない生き物なのかというわけなのでしょう。
しかし、そんな詰らない基準による判定など、エイリアンごときにしてもらいたくないものです!まさに人類の勝手でしょう!
また、エイリアン自体は実際には登場しませんが、この話がとても30年前のものだとは思えないのも、背後にその存在が前提とされていることにもよっています。
ロ)そもそも、ギリギリの窮地に追い詰められてもいない一般の人が、高額のお金が得られるからと言って、簡単に殺人に手を貸すようなことをするものでしょうか?
まして、夫はNASAで働いており、また妻も高校教師というルイス家のような健全な一家で、それも小奇麗な家に住んでいながら、同じ高校に通う息子に対する授業料優遇措置の適用が受けられなくなると、途端にお金が必要だとして、ノーマや夫が箱を前にアレコレ悩んでしまうものでしょうか?
ハ)その上、そうした選択をしてしまうと、更なる選択が迫ってくるのです。突然、息子に異変が起こり、目が見えず耳も聞こえなくなってしまいます。その時に、スチュワードが再び現れて、別のより厳しい選択肢を提示します。すなわち、100万ドルが得られるものの息子の異変は治らない道か、息子の異変は治るがある重大事を敢行しなくてはならない道か、そのいずれかを選べと迫ります。
しかし、そんな羽目に追い込まれるとは当初の条件では何も言われておらず、後出しジャンケンのような実にアンフェアーな感じがしてしまいます。
単なるファンタジックなお話なのですから、いろいろと難癖をつけずにそのまま楽しめばいいのでしょうが、全体を道徳的な雰囲気に包みこもうとしている点が、この映画の一番いやらしいところではないかと思いました。
(2)この映画には原作があります。リチャード・マシスン著『運命のボタン』(尾之上浩司編、伊藤典夫・尾之上浩司訳、早川書房、2010.3)に収められている短編「運命のボタン」です。
とはいえ、その短編で死ぬのは、「本当にはよく知らなかった」夫であって、今回の映画とは意味合いが全く違っています。
ですから、下記の前田有一氏のように、「このエンディングを(非常にミニマムな)原作と比較すると、この短編をふくらませて映画化するならこうすべきだよねと合点がいく」などと考えずに、ぜんぜん別物だと考えるべきではないでしょうか?
というのも、肝心要の点、“一番身近だからよく知っていたと思っていたにもかかわらず、本当はよく知らなかった”という恐ろしい事実が、映画ではサッパリ描かれてはいないのですから!
そして、かわりにいかさま道徳哲学じみた雰囲気が全体に漂うわけで、「こうすべきだよねと合点がいく」どころではありません。元の短編の持っている切れ味を、錆だらけにしてしまったというべきではないでしょうか?
なお、このハヤカワ文庫の書評が、5月23日の朝日新聞に掲載されました。評者の横尾忠則氏は、「僕はホラー文学なんて一度も読んだことがなかったけれど、これが実に面白い!テンポの速い会話と、視覚表現はまるで映画だ。特に人間の五感や自然現象への眼差(まなざ)しが鋭く、ぐいぐいと肉体感覚に攻 撃を加えてくる。だから冒険小説でもないのに血が湧(わ)き肉が躍り出す。さらに体の奥で惰眠をむさぼっていたアンファンテリズム(幼児性)がにわかに目 を覚まし原初的な死の恐怖と快感がギシギシ音を立てながら開扉するその感覚がたまんない」と述べています。
(3)映画評論家は、総じて好意的にこの映画を見ているようで、
前田有一氏は、「この映画が抜群に面白いことには、おそらく誰も異論はなかろうが、私が高く評価するのはそのメッセージの普遍性の高さ」であり、「いろいろな解釈が乱れ飛ぶと思うが、私がうまいなと感じたのはこの作品が人間の身勝手な本質をこの上なくシニカルに描いている点」だとして80点もの高得点を、
渡まち子氏は、「人類滅亡さえ思わせる大掛かりな展開はアブノーマルなのだが、人間の本質と、倫理観を問うテーマは、意外にも古典的だったりする。何かをあきらめているよ うな、それでいて懸命に幸福を求めてもがくノーマを演じるキャメロン・ディアスが、いつもの明るいキャクターとは違って本格的な演技をみせて素晴らしい」として65点を、
ただ、福本次郎氏は、「無表情な視線、突然の鼻血、諜報機関の関与。追い詰められていく主人公夫婦が体験するじわじわと真綿で首を絞められるような感覚が、思わせぶりな映像の連続で再現される。ところが、彼らに“運命のボタン”を贈った謎の男の過去が明らかになるにつれ、怖さよりもばかばかしさが先に立つ」として40点を、
それぞれつけています。
このお三方の論評では、私は福本氏のものを評価したいと思います。
★★☆☆☆
象のロケット:運命のボタン
私は最低ランクの評価です。
「フォーガットン」ほどではありませんが、それに次ぐくらいの低評価です。
感想もほぼ同感です。
導入部は面白く惹きつけられますが、
あんなもので判断されるのは変だし、
後出しじゃんけんはまさに言い得て妙です。
究極の選択を迫る、さああなたはどっちを選ぶ。
そして訪れるさらなる究極の選択、、、。
なんてところでしょうが、説得力がない。
怪しい人々も何のためなのかよくわからないし、
NSAもNASAも中途半端で、
言われるように道徳的にまとめようとしているところは納得できません。
感想は人それぞれですからいいとしても、
評論家のご意見にある「普遍性が高く、シニカル」は理解できません。
前半はボタンを押す、押さないと
見応えがあったのですが後半はトンでもない
展開となってしまい、一瞬、
ジュリアン・ムーア出演の「フォーガットン」を
思い出しちゃいました。
自己の徳のために誰かを犠牲に出来るのか…
それが第三者なら…。第三者って家族も
含まれる可能性もありますよね。
今度、訪れた際には、
【評価ポイント】~と
ブログの記事の最後に、☆5つがあり
クリックすることで5段階評価ができます。
もし、見た映画があったらぽちっとお願いします!!
こんばんは。
コメント、ご質問有難うございます。
ご質問の件ですが、ご回答いたします。
以下、参考例です。
No.225 運命のボタン ★★★☆☆ (※1)
【評価ポイント】
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お願いします(5段階評価)
★★★☆☆ 3.00 3人の評価 (※2)
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クマネズミさんに押して欲しい個所は
(この部分)の個所になります。
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加算されません。
この内容で分かりますでしょうか。
お返事お待ちしております。