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J・エドガー

2012年02月23日 | 洋画(12年)
 『J・エドガー』を渋谷シネパレスで見ました。

(1)こうした実在の人物を描く作品はあまり好みませんが、クリント・イーストウッド監督(注1)が制作し、L・ディカプリオ(注2)の主演ということであれば、何はともあれ見ざるを得ないところです(同監督の『インビクタス』―実在の南ア大統領であるネルソン・マンデラを描いています―を見ていることでもありますし)。

 本作が取り上げている「フーバーFBI長官」は、約50年ほどの間に8人の大統領に仕えた歴史上の人物であり、FBIを、国内外からの組織的な犯罪に立ち向かえる警察組織にすることに多大な功績があったとされています。
 すなわち、一方で、彼は、相当額の予算を科学捜査に充てて目覚ましい実績を上げていきますが、他方で、自分の考えるFBIにするという目的達成に邪魔がはいらないよう、国家の主要な人物の極秘情報を把握して、それを巧みに使うことで地位の保全を図ります。たとえば、前者は、リンドバーグ愛児誘拐事件の犯人逮捕で生かされ、後者については、ケネディ大統領にかかるスキャンダラスな情報を、その弟のロバート・ケネディ司法長官にちらつかせたりしたようです。

 ただ、本作は、実在の人物を描いているとはいえ、ディカプリオが扮する「J・エドガー」の姿は、下の写真で見る本物とは相当異なっていることもあって、「フーバーFBI長官」という歴史上の人物に関する伝記映画としてことさら捉えなくともいいのではと思っています。



 むろん、描き出されるエピソードは、実際に近いものが大部分なのでしょうし、そういったものが本作に彩りを与えているのは確かでしょう。ですが、例えばシカゴのギャング団の逮捕にどれだけ貢献したのか、などといったことは、この際どうでもいいことではないでしょうか(注3)。

 むしろ大きな焦点が当てられているのは、専ら、老いていくエドガーの姿、及び彼とその周辺にいる人物、すなわち母親、副長官クライド、そして秘書ヘレンとの関係でしょう。

 老いゆくエドガーについては、一方で、自叙伝の口述シーンが何度も挿入されます。筆記する方は、口述内容に疑問を持つことが幾たびもあるようですが、エドガーは、あくまでも自分の栄光の軌跡を綴らせます(注4)。



 他方で、ケネディ兄弟には有効に働いた極秘情報(注5)も、ケネディが暗殺され、またそういうことに通じたニクソンが大統領になると、効果が薄れたものになってしまいます(注6)。とはいえ、エドガーは、ルーズベルト大統領夫人に関する極秘情報(注7)を後生大事に保持しており、もはや現実が目に入らないかのようです。

 こうしたエドガーの人格形成に一番影響力があったのは、母親アニージュディ・デンチ)でしょう(注8)。
 なにしろ彼女は、エドガーが、仕事が思うようにはかどらず落ち込んで、「誰も信じられない、母さんだけだ」と言うと、「信じるのよ、花のように萎れずに、強くなるのよ」と強く励ますのです(注9)。



 そして、母親との関係が影響しているのでしょう、エドガーは、異性とはうまく付き合えず、同性のクライドアーミー・ハマー)(注10)と何らかの関係があったと思われます(注11)。



 それでも、エドガーは、若い時分にヘレンナオミ・ワッツ)に求婚しています。ただ、その際は、「私は結婚に興味がないの」と断られながらも、「それじゃあ、私の個人秘書になってくれないか」と求めると、彼女は、生涯、エドガーの個人秘書として通します(注12)。



 あるいは、ヘレンは、エドガーを深く愛していたのかもしれません。ですが、『人生のビギナーズ』におけるオリヴァーの母親とは違い(オリヴァーも親離れしていませんが)、エドガーの性癖を知って身を引いたのではないでしょうか?ですが、エドガーを深く愛したがために、他の男性と一緒になろうとはせずに、生涯独身を通したようにも思えるところです。

 全体として、これらの人間関係の中心に位置付けられたエドガーの心の動きが、大層巧みに、かつ興味深く描き出されているなと感心いたしました。

 主演のディカプリオをはじめとして、登場するのは皆実在した人物ばかりですから、下手をすると“ソックリさん”大会になりかねないところ、そこはイーストウッド監督、一定の範囲に抑えていることもあって、おしまいまで興味深く見続けることができました。
 特に、エドガーの人格形成に多大な影響のあった母親アニーの描き方が優れているのでは、と思います。

 ただ、主演のディカプリオ(37歳)は、実によく頑張っているとはいえ、相棒たるクライド副長官役のアーミー・ハマーは、『ソーシャル・ネットワーク』で注目されましたが、まだ弱冠25歳ですから老け役は難しいところで、ディカプリオと一緒の場面が多いだけに、その差が目立ってしまいます。
 また、秘書ヘレンにナオミ・ワッツ(『愛する人』)が扮しているものの、華々しい活躍が見られないというのも、宝の持ち腐れのような感じがします。
 それに、FBIといえば大組織をイメージしますが、映画で見る限りは個人商店の域を出ない様子なのは残念な点かもしれません。
 とはいえ、それらの点は想像力をもって補えば済むことなのかもしれません。

(2)評論家の蓮實重彦氏は、雑誌『群像』掲載の「映画時評39」(本年3月号)において、本作を取り上げています。
 同エッセイで蓮實氏は、監督イーストウッドに関し、「実際、最後の「アメリカ映画」を撮ったのはこの俺だという確固たる自負が、『グラン・トリノ』のすみずみまで行きわたっていた」のであって、その後は、「誰もが「アメリカ映画」として思い浮かべる作品の枠組みにはおさまりのつかぬ映画だけを撮」っており、「その時、そこに描き出されるのは、歴史―偉大なる「アメリカ映画」―が終焉したのちの起伏を欠いたいかにも寒々とした光景である」と述べています。
 そして、本作につき、「イーストウッドには、過去の再現など一切興味がなさそうだ」とした上で、その魅力について、「通信手段が電話でしかない時代に、アーカイヴ的とも呼べる未知の権力意志で結ばれた男女の三人組が、その情報独占への意志をいっときも放棄せず、たがいに誰も裏切らないというおよそドラマを欠いた日常が描かれているところがとめどもなく贅沢で魅力的なのだ」と述べています。

 蓮實氏が、「イーストウッドには、過去の再現など一切興味がなさそうだ」と述べている点にはなんとか共感できるとはいえ、『グラン・トリノ』が最後の「アメリカ映画」だということの意味が奈辺にあって、本作が、終焉してしまった「アメリカ映画」の後釜たる「たんなる映画」なのかどうかも分からないクマネズミにとっては、「ときの大統領やその夫人がどれほど危険な異性とベッドをともにしているか」を、「誰にもいわずにおくことの淫靡なエロチシズムが、ヘレントクライドとJ・エドガーとを固く結びつけている」点が“とめどもなく贅沢で魅力的”と言われても、おぼろげにそうかもしれないなと思えてはくるものの、評者の見解につき十全な理解は甚だ困難です。

(3)樺沢紫苑氏は、「ジョン・エドガー・フーバー、FBI長官という一人の人間を描き出すだけでなく、アメリカの近代史を犯罪という裏側からあぶりだしたクロニクル(年代記)になっているスケール感がすごい」などとして90点をつけています。
 渡まち子氏は、「イーストウッドの狙いは、フーバーが向き合った、禁酒法時代のギャングとの攻防や、リンドバーグ愛児誘拐事件、赤狩りなどの20世紀の事件を通して、米国近代史の光と闇を浮かび上がらせること」であり、「市長の経験もあり、政治を知るイーストウッドは、国家の中枢にいた人物の複雑な輪郭をあぶり出すことで、米国が同じ過ちを繰り返してはならないとのメッセージを込めている」として75点をつけています。
 両氏とも、「フーバーFBI長官」という歴史上の人物を巧みに描き出している点を本作の評価の基軸に据えていますが、クマネズミは、なぜ映画のタイトルが「J・エドガー・フーバー」ではなく、単に「J・エドガー」だけとなっているのか、という点をもっと考慮すべきなのではと思いました。




(注1)イーストウッド監督作品としては、最近では、『ヒア アフター』、『インビクタス』、『グラン・トリノ』、『チェンジリング』を見ています。

(注2)L・ディカプリオについては、最近では、『インセプション』『レボリューショナリー・ロード』、『ワールド・オブ・ライズ』を見ています。

(注3)とはいえ、『パブリック・エネミーズ』の主役の銀行強盗・デリンジャー(ジョニー・デップ)と接点があった(議会証言などをするフーバー長官をビリー・クラダップが演じています←このサイトの記事を参照)、などといったことには興味をひかれますが。

(注4)リンドバーグ愛児誘拐事件の犯人ハウプトマンに対する裁判において、彼自身は否認し続けますが、その単独犯だとして死刑判決が下されます。それにつき口述筆記していた部下は、「本当に単独犯だったのでしょうか?」と疑問を呈すると、エドガーは、FBIによる科学捜査(犯行に使われた梯子の木材を作った製材所を突き止めたりします)の勝利だとして、そこで自叙伝を終えようと言います。

(注5)盗聴等の手段によって、ケネディ大統領と東欧の女性とのスキャンダラスな関係をつかんでいました。

(注6)宿敵キング牧師のノーベル賞受賞に際しては、持っている極秘情報をちらつかせた(内部告発状を書かせて送った)ことによって、彼は受賞を辞退するはずと読んでいたものの、実際はそうはなりませんでした。

(注7)ルーズベルト大統領夫人が共産主義者と楽しい時間を過ごしたことがあるという情報、とされています。

(注8)司法長官から捜査局長に任命されるときも、エドガーが「友達も愛人もおらず、関係者は母親だけ」という点が評価されたフシがあります。
 その母親は、エドガーに関する新聞記事をすべて切り抜いて持っています。

(注9)さらには、女性と食事をしに行くエドガーに対して口煩くアドバイスするかと思えば、クラブに行った時にエドガーが女性と満足に接することができなかったことを耳にすると、エドガーに、「先生に習ったように、正確にきちんと話すことが大事」といい、さらに「女とはダンスなどしたくない」と言い張るエドガーに、「あなたにダンスを教えてあげる」と言ってダンスの手ほどきまでするのですから!
 母親が亡くなった時には、エドガーはすでに40歳を越えていましたが、母親のネックレスや服を身に纏うも、ネックレスを引きちぎって泣き崩れるのです。

(注10)クライドは、最初の面接の際、エドガーが、「この職務は裕福な弁護士になるための腰かけではない」と言うと、「将来は弁護士事務所を開きたいが、あなたが私を必要とされるなら、話は別です」と応じます。
 大学が同じなこと、美形なこと、そしてこうした毅然とした態度であること、などからエドガーは、信頼できる男としてクライドを選択したようです。

(注11)エドガーは、ある時、ホテルのスイートルームにクライドと2人で泊まりますが、その際、「女優のドロシーに結婚を申し込むつもりだ、彼女とは数回食事をしたことがある」と言うと、クライドが、「俺を馬鹿にするのか」、「これ以上女の話をしたら、僕との中はおしまいだ」と怒り狂います。その剣幕に驚いたエドガーは、「お願いだから僕を一人にしないでくれ」、「クラウド、愛している」とひたすら謝ります。クラウドは、エドガーにキスまでしますから、同性愛的な関係があったように見えますが、本作はそれ以上突っ込んで描いてはおりません。

(注12)エドガーが亡くなると、ヘレンは、エドガーとの約束に従って、極秘書類をすべて持ち去ってシュレッダーにかけてしまい、ニクソンの指示により長官室の捜索に乗り込んできた者達の鼻を明かします。最後まで、ヘレンは、エドガーに忠実でした。






★★★★☆






象のロケット:J・エドガー


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10 コメント

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Unknown (リバー)
2012-02-24 15:08:34
TB ありがとうございます。

イーストウッド作品らしいしっかりとした作りで
しかし 最近の作品と比べると・・・

レオの演技はすごかったですが、ナオミ・ワッツはそれだけ・・・といった感じでしたね
映画頭巾 (エドガー)
2012-02-25 19:19:07
僕も数週間前観てきました。
現在ブログを休んでいるためまだ感想をアップしていませんが、
僕はこの作品は日本人向けではないとしても、
非常によくできた作品だったと思います。
ある程度はアメリカ史の時代の流れをつかんでおかないといけないかもしれませんが、
割と大衆向けになっていると思います。
少なくとも僕はグラントリノに及ばないとしても、ヒアアフターよりは気に入ったかもしれません。
とはいえ、実際観ている間、特に前半は全く好きになれませんでした。
しかし、観ている途中、フーバーさんに感情移入させないように作られていることが分かり、
後半はかなり楽しめました。
そして、ラスト10分あたりは少しだけ、なにかフーパーの心の内が分かったような気がして、
ウルッときました(そもそも泣くような映画ではありませんが)。
それと、クマネズミさんが(3)でおっしゃっているタイトルの件ですが、パンフレットにその考察がありました。
簡単に言うと、「皆はいつもフーバーと呼んできたが、いままでいろいろ作られてきたフーバーの映画とは違うモノだということをタイトルで表現するため」(わかりにくくてすみません)だといいます。
本当かどうかはわかりませんが、このタイトルにしろ、
いままでのフーバー映画と全く違う、フーバーの人間像に迫ったこの作品は偉いと思いました。

長々とずさんな文章で失礼しました。
タイトル (クマネズミ)
2012-02-26 05:29:45
「映画頭巾」さん、コメントをわざわざありがとうございます。
タイトルの件ですが、パンフレットでは、「いままでいろいろ作られてきたフーバーの映画とは違うモノだということをタイトルで表現」していると述べられているとのこと。
制作者側の意図がどこにあるのかはともかくとして、クマネズミとしてはさらに進んで、「フーバーFBI長官に関する伝記映画ではない、むしろJ・エドガーについてのフィクションなのだ」ということを表しているのでは、と思っています。
ですから、評論家の樺沢氏が、「アメリカの近代史を犯罪という裏側からあぶりだしたクロニクル(年代記)」と言ってみたり、渡氏が「20世紀の事件を通して、米国近代史の光と闇を浮かび上がらせる」と述べたりしているのは、フーバーFBI長官絡みのエピソード―敢えて言えば、「J・エドガー」を描くために、枠組みとして“便宜的”に取り上げたもの―を、かなり過大に評価しているのでは、と思えてしまいます。
なるほど (映画頭巾)
2012-02-27 15:28:42
おっしゃるとおりです。この映画自体がフィクション化、つまりフーバー化しているのかもしれません。もちろん、アメリカ近代史の闇を批判的に描いている伝記映画かもしれませんが、語られていること全てが事実ではないので、フィクションと言ってもいいかもしれません。来月あたりに僕の意見をブログに書くので見ていただけるとありがたいです。
こんなにも色々な意見が聞けるような映画を観れ、満足しています。良い映画でした!
Unknown (kintyre)
2012-05-03 10:38:07
こんにちは、フーバーの人物像を描く上で母の期待、トルソンとの同性愛を強調することで強面の人物の裏の部分をあぶり出したかったのでしょうかね?
この時代のアメリカ史を知っていると観ていて頷ける部分も多いのでしょうが、個人的には疎いので純粋にストーリーに集中していましたが、所々、睡魔に襲われた部分も...。
ナオミ・ワッツが秘書として、彼の「公」の部分を影ながら一歩引いて支えていた感じが良く出ていました。
アメリカ史 (クマネズミ)
2012-05-04 15:43:05
kintyreさん、TB&コメントをありがとうございます。
クマネズミとしては、エントリ本文に書きましたように、本作は、フーバーの伝記映画というよりも、フーバーFBI長官という枠組みの中で、J・エドガーという人物を描き出しているのではと思いました。
なにしろ、ディカプリオのメイクも、サッチャーに扮したメリル・ストリープと比べたら雲泥の差ですから、本人に似せるという観点は余りないのではないか、むしろ、老境に入った地位の高い人物が過去を振り返るというフィクションを描き出しているのではないか、と思っています。それで、クマネズミとしては、「この時代のアメリカ史」についての知識はあれば良いくらいのものではないかと密かに思っているのですが。
Unknown (Quest)
2012-06-22 00:46:54
こんばんは。

タイトルに「フーバー」の文字を入れなかった時点で、おそらく伝記的というよりも人間ドラマに主軸を置いた作品なのでは思いました。イーストウッドらしい作品かもしれませんね。

監督も御年82歳なんですよね。いつまでもお元気に作品を撮り続けてほしいですね。
Unknown (クマネズミ)
2012-06-24 05:57:08
Questさん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「伝記的というよりも人間ドラマに主軸を置いた作品」であって、その意味で『サッチャー』と類似すると思いますが、「そっくりさん」の観点からは対極をなしているのではと思います。
また、イーストウッド監督も、新藤兼人監督の域にまでは、まだ10年以上もあります!
漠然と思った (ふじき78)
2012-12-15 07:21:14
> クラウドは、エドガーにキスまでしますから、同性愛的な関係があったように見えますが、本作はそれ以上突っ込んで描いてはおりません。

「よし、仲直りだ。いつもの踊りをやろう」
「うん、さあ~」
「♪よかちん、よかちん、よかちんちん」
「♪よかちん、よかちん、よかちんちん」

これは映画にならないな。
突っ込みどころ (クマネズミ)
2012-12-15 18:34:59
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おそらくは、注11の「突っ込んで」というところに“突っ
込んでいただき、想像力を飛翔されたことと推測いた
しますが、その自由奔放なところに驚嘆するほかは
ありません!

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