インド映画『ボス その男シヴァージ』をシネマート新宿で見ました。
(1)インド映画は、半年前に『ロボット』を見て、その面白さに堪能したところ、今回の作品も前作同様にラジニカーントが主演ということなので、映画館に出向きました(注1)。
映画は、やってきたパトカーを取り囲む大群衆の場面から始まります。
パトカーの中では、警官が「あなたの手錠姿が公開されると大騒動になる」と言って、その男に覆面を被せ、車の外に出します。警官とその男が行く先は中央刑務所。
その男について、様々な声が聞こえてきます。
数千億ルピーの詐欺をしたらしい。否、貧しい者に教育と食糧を与えた。
やつはペテン師だ。いや、やつは仕事をくれたし、国が10年でやるところを10日でやってしまった。
独房に入ると、近くの房の囚人が「旦那、詐欺で?」と尋ね、その男は「いいや国の改革だ」と答えると、囚人は「そりゃあ重罪だ!」と応じます。
ここで、場面が変わって、その男・シヴァージが米国から帰国した時の様子が映し出されます。
母親たちが空港に出迎え、シヴァージは「困っている人を助けたい、財産は2千億」と言い、さらにその後開催されたパーティにおいても、彼は「米国留学で成功した。獲得したお金で貧困を一掃したいが、それには教育だ。私は大学を作るし、さらには総合病院も建設する」と話します。
そしてシヴァージは、一方で結婚相手を探そうとします。
でも、周りの者が用意する女性には目もくれません。彼の望みは“古風なタミル女性”(彼が「伝統的なタミルのダンスがいい」と言うと、いきなり画面一杯ダンスが繰り広げられます)。
そんな彼が一目惚れしたのが、楽器店で働くタミル(シュリヤー・サラン)。
しかしながら、彼女はなかなか首を縦に振ろうとはしません。
他方で、シヴァージは、大学や病院の建設をどんどん進めようとします。
ですが、彼の計画を快く思っていない連中がいます。その中心は、悪徳企業家のアーディセーシャン。無料の学校や病院を作られると、法外な学費や治療費などで富を築いてきた彼は、もうけが減ってしまうのです。
さあ、シヴァージはタミルと結婚できるでしょうか、そしてアーディセーシャンとの戦いに勝利を得ることは、……?
(2)この映画を見るに当たっては、一抹の不安がなかったわけではありません。
シチュエーションは違うにしても、前作『ロボット』と似たような構成になるのではないか、なにしろ『ロボット』では呆れるほど何回も歌と踊りが繰り広げられたのですから、それ以上のパターンがあるように思えないところです。
実際のところ、その不安は当たらないわけでもありません。
主演のラジニカーントは、前作同様、絶世の美女(注2)と恋に陥るものの、障害がいくつもでてきてなかなか結婚に至りませんし(注3)、また前作同様、前半と後半で性格がガラッと入れ替わります(注4)。また、同じように、ラジニカーントに対し強敵が現れます(注5)。
なにより、目ぼしい場面で、画面一杯に歌と踊りが展開されるのです(注6)。
それに、上映時間は、前作同様3時間(注7)。
とはいえ、『ロボット』が前作とされるのは日本での話であって、実際には本作の方が、『ロボット』(2010年)よりも先に制作され先に公開されて爆発的なヒットになっていたのです(2007年)。
あるいは、そんな順番で日本でも公開されたのであれば、もっと本作を楽しめたかもしれません。
(3)誠につまらないことですが、本作でシヴァージは、インドから貧困を一層するための鍵として大学と総合病院の建設を訴え、それに向けて自分の莫大な資産を投じてしまうのです。
ですが、解決策は、いわゆる“箱物”ではないはずです(建設労働者の働き口が増えるにしても)。いくら大学や病院をどんどん作っても、そこで教える教師や、治療に当たる医師を大量に確保しなくてはならず、そうなってくると、そうした者を養成する機関と時間が必要であり、ひいてはそこに入学する者もいなくてはなりません。そのためには、そうした者を幼いころからサポートできる一定程度の経済規模が必要だということになります(家が貧しければ、家計を支えるために小さいうちから働きに出なくてはならないでしょう←その解決策としては、奨学金制度の充実←そのためには一定規模の財政←そのためには?)。とどのつまりは、貧困を追放するために貧困でないことが必要だということになってしまいます。
これがこの問題の難しさではないでしょうか?
また、シヴァージ財団は、一定の貧困地域を近代化された街に作り変えようとして、その計画に反対する者をこっぴどい目に会わせます(注8)。でも、そんなことをしたら、財団に対する敵対者を生み出し、結局は世の中に一層の対立・憎悪をもたらしてしまうだけのことになってしまうのではないでしょうか(注9)
(4) とはいえ、あれこれ言ってはみたものの、そんなこんなは歌と踊りが一杯に詰まった極彩色の本作を見て楽しむ上ではどうでもいいことでしょうし、実際に見てみれば、実に愉快な気分となること請け合いです。
この次のも制作・公開されるのであれば、内容がいくら似ているとしても、やっぱり見に行くことでしょう!
(注1)シネマート六本木で11月23日に公開された時は、この記事によれば、「音楽フェスのように騒いでOK、踊ってOK、歌ってOK、鳴り物OK、撮影OK、しゃべってOK、しかもインドビール飲み放題&カレー付き」だったそうです!
クマネズミが12月になってシネマート新宿に出向いた時も、上映の冒頭に“何でもOK”の案内がスクリーンに映し出されたものの、観客10名くらいの侘しい場内は、とても踊り出す雰囲気ではありませんでした。それでも、チケット購入の際に、レトルトカレーのプレゼントがありましたが!
(注2)『ロボット』のヒロイン役のアイシュワリヤー・ラーイは、38歳で実績もありますが、本作のヒロイン役のシュリヤー・サランは、30歳(映画製作時は25歳くらい)でそれほどの実績がなかったにもかかわらず大抜擢されたようです。
(注3)シヴァージの家が大富豪でタミルの家が貧しいという大きな障害がありましたが、そこはなんとか乗り越え、タミルはシヴァージの熱愛を受け入れるものの、ただタミルが占ってもらった占い師が、結婚するとシヴァージが死ぬことになると強く言うものですから、なかなか結婚に踏み切れません。
(注4)シヴァージは、前半では正攻法で臨み、自分の全資産を大学や病院の建設に充てるものの、結局は一文無しになってしまいます。
そこで、後半になると、搦め手から臨み、大富豪の裏金を奪い取り、それを米国で資金洗浄し(マネーロンダリング!)、インドに回送して財団を立ち上げて、大々的な建設を展開します(映画のラストでは、資金洗浄という罪を犯したということで、シヴァージは自首したとされています)。
(注5)悪徳企業家・アーディセーシャンとの戦いは、最初のうちは、アーディセーシャンが政治力を行使して、建設の妨害をするくらいですが、シヴァージが彼らの裏金を強奪するようになるとその牙を剥き出し、ラストは2人の壮絶な戦いとなります。
(注6)ただ、『ロボット』におけるマチュピチュとかブラジルでの踊りのような奇想天外なものは、本作にはなかった感じですが。
(注7)『ロボット』の完全版の上映時間が177分であるのに対して、本作は185分。
(注8)計画に反対する者をOffice Roomと称する小屋に入れて、そこで暴力的に賛成させるのです。
(注9)さらに、映画のラストでは、インドでは、マネーのカード化が進んだために裏金が一掃された次第がドキュメンタリー風に描き出されます。ですが、この記事に従えば、インドにおけるカード化の進展は微々たるもののようです。
それに元々、裏金は、紙幣が一掃されたからといって一掃されるものでもないと思われます(悪の集団が裏資金をため込む手段などは、いくらでも考えつくことでしょう)。
よくは分かりませんが、こうした場面は、おそらくはインドの願望・期待が描かれていると考えるべきものなのでしょう。
★★★★☆
象のロケット:ボス その男シヴァージ
(1)インド映画は、半年前に『ロボット』を見て、その面白さに堪能したところ、今回の作品も前作同様にラジニカーントが主演ということなので、映画館に出向きました(注1)。
映画は、やってきたパトカーを取り囲む大群衆の場面から始まります。
パトカーの中では、警官が「あなたの手錠姿が公開されると大騒動になる」と言って、その男に覆面を被せ、車の外に出します。警官とその男が行く先は中央刑務所。
その男について、様々な声が聞こえてきます。
数千億ルピーの詐欺をしたらしい。否、貧しい者に教育と食糧を与えた。
やつはペテン師だ。いや、やつは仕事をくれたし、国が10年でやるところを10日でやってしまった。
独房に入ると、近くの房の囚人が「旦那、詐欺で?」と尋ね、その男は「いいや国の改革だ」と答えると、囚人は「そりゃあ重罪だ!」と応じます。
ここで、場面が変わって、その男・シヴァージが米国から帰国した時の様子が映し出されます。
母親たちが空港に出迎え、シヴァージは「困っている人を助けたい、財産は2千億」と言い、さらにその後開催されたパーティにおいても、彼は「米国留学で成功した。獲得したお金で貧困を一掃したいが、それには教育だ。私は大学を作るし、さらには総合病院も建設する」と話します。
そしてシヴァージは、一方で結婚相手を探そうとします。
でも、周りの者が用意する女性には目もくれません。彼の望みは“古風なタミル女性”(彼が「伝統的なタミルのダンスがいい」と言うと、いきなり画面一杯ダンスが繰り広げられます)。
そんな彼が一目惚れしたのが、楽器店で働くタミル(シュリヤー・サラン)。
しかしながら、彼女はなかなか首を縦に振ろうとはしません。
他方で、シヴァージは、大学や病院の建設をどんどん進めようとします。
ですが、彼の計画を快く思っていない連中がいます。その中心は、悪徳企業家のアーディセーシャン。無料の学校や病院を作られると、法外な学費や治療費などで富を築いてきた彼は、もうけが減ってしまうのです。
さあ、シヴァージはタミルと結婚できるでしょうか、そしてアーディセーシャンとの戦いに勝利を得ることは、……?
(2)この映画を見るに当たっては、一抹の不安がなかったわけではありません。
シチュエーションは違うにしても、前作『ロボット』と似たような構成になるのではないか、なにしろ『ロボット』では呆れるほど何回も歌と踊りが繰り広げられたのですから、それ以上のパターンがあるように思えないところです。
実際のところ、その不安は当たらないわけでもありません。
主演のラジニカーントは、前作同様、絶世の美女(注2)と恋に陥るものの、障害がいくつもでてきてなかなか結婚に至りませんし(注3)、また前作同様、前半と後半で性格がガラッと入れ替わります(注4)。また、同じように、ラジニカーントに対し強敵が現れます(注5)。
なにより、目ぼしい場面で、画面一杯に歌と踊りが展開されるのです(注6)。
それに、上映時間は、前作同様3時間(注7)。
とはいえ、『ロボット』が前作とされるのは日本での話であって、実際には本作の方が、『ロボット』(2010年)よりも先に制作され先に公開されて爆発的なヒットになっていたのです(2007年)。
あるいは、そんな順番で日本でも公開されたのであれば、もっと本作を楽しめたかもしれません。
(3)誠につまらないことですが、本作でシヴァージは、インドから貧困を一層するための鍵として大学と総合病院の建設を訴え、それに向けて自分の莫大な資産を投じてしまうのです。
ですが、解決策は、いわゆる“箱物”ではないはずです(建設労働者の働き口が増えるにしても)。いくら大学や病院をどんどん作っても、そこで教える教師や、治療に当たる医師を大量に確保しなくてはならず、そうなってくると、そうした者を養成する機関と時間が必要であり、ひいてはそこに入学する者もいなくてはなりません。そのためには、そうした者を幼いころからサポートできる一定程度の経済規模が必要だということになります(家が貧しければ、家計を支えるために小さいうちから働きに出なくてはならないでしょう←その解決策としては、奨学金制度の充実←そのためには一定規模の財政←そのためには?)。とどのつまりは、貧困を追放するために貧困でないことが必要だということになってしまいます。
これがこの問題の難しさではないでしょうか?
また、シヴァージ財団は、一定の貧困地域を近代化された街に作り変えようとして、その計画に反対する者をこっぴどい目に会わせます(注8)。でも、そんなことをしたら、財団に対する敵対者を生み出し、結局は世の中に一層の対立・憎悪をもたらしてしまうだけのことになってしまうのではないでしょうか(注9)
(4) とはいえ、あれこれ言ってはみたものの、そんなこんなは歌と踊りが一杯に詰まった極彩色の本作を見て楽しむ上ではどうでもいいことでしょうし、実際に見てみれば、実に愉快な気分となること請け合いです。
この次のも制作・公開されるのであれば、内容がいくら似ているとしても、やっぱり見に行くことでしょう!
(注1)シネマート六本木で11月23日に公開された時は、この記事によれば、「音楽フェスのように騒いでOK、踊ってOK、歌ってOK、鳴り物OK、撮影OK、しゃべってOK、しかもインドビール飲み放題&カレー付き」だったそうです!
クマネズミが12月になってシネマート新宿に出向いた時も、上映の冒頭に“何でもOK”の案内がスクリーンに映し出されたものの、観客10名くらいの侘しい場内は、とても踊り出す雰囲気ではありませんでした。それでも、チケット購入の際に、レトルトカレーのプレゼントがありましたが!
(注2)『ロボット』のヒロイン役のアイシュワリヤー・ラーイは、38歳で実績もありますが、本作のヒロイン役のシュリヤー・サランは、30歳(映画製作時は25歳くらい)でそれほどの実績がなかったにもかかわらず大抜擢されたようです。
(注3)シヴァージの家が大富豪でタミルの家が貧しいという大きな障害がありましたが、そこはなんとか乗り越え、タミルはシヴァージの熱愛を受け入れるものの、ただタミルが占ってもらった占い師が、結婚するとシヴァージが死ぬことになると強く言うものですから、なかなか結婚に踏み切れません。
(注4)シヴァージは、前半では正攻法で臨み、自分の全資産を大学や病院の建設に充てるものの、結局は一文無しになってしまいます。
そこで、後半になると、搦め手から臨み、大富豪の裏金を奪い取り、それを米国で資金洗浄し(マネーロンダリング!)、インドに回送して財団を立ち上げて、大々的な建設を展開します(映画のラストでは、資金洗浄という罪を犯したということで、シヴァージは自首したとされています)。
(注5)悪徳企業家・アーディセーシャンとの戦いは、最初のうちは、アーディセーシャンが政治力を行使して、建設の妨害をするくらいですが、シヴァージが彼らの裏金を強奪するようになるとその牙を剥き出し、ラストは2人の壮絶な戦いとなります。
(注6)ただ、『ロボット』におけるマチュピチュとかブラジルでの踊りのような奇想天外なものは、本作にはなかった感じですが。
(注7)『ロボット』の完全版の上映時間が177分であるのに対して、本作は185分。
(注8)計画に反対する者をOffice Roomと称する小屋に入れて、そこで暴力的に賛成させるのです。
(注9)さらに、映画のラストでは、インドでは、マネーのカード化が進んだために裏金が一掃された次第がドキュメンタリー風に描き出されます。ですが、この記事に従えば、インドにおけるカード化の進展は微々たるもののようです。
それに元々、裏金は、紙幣が一掃されたからといって一掃されるものでもないと思われます(悪の集団が裏資金をため込む手段などは、いくらでも考えつくことでしょう)。
よくは分かりませんが、こうした場面は、おそらくはインドの願望・期待が描かれていると考えるべきものなのでしょう。
★★★★☆
象のロケット:ボス その男シヴァージ
一応、映画の中で「お金が裏金に行ってしまう。そのお金が正しく使われるなら、我々は決して貧困ではない」と言ってますね。
ただ鶏が先か卵が先かであって、人材を育てる為に教育するにしても、そこに人材がまずいない。ただ、ノウハウ教育などのソフトウェアは財源があれば海外から買える。都合がいい事に英国に統治されていたため、第二外国語が英語として広まっているので、割と海外から人材を買ってくるというのはありかもしれない。
ちなみに私もカレーを貰いました。
マサラシステムは横にインドカレー屋があるキネカ大森ではうまく機能してるかもしれません。
ただ、裏金も、この映画のように屋根の裏側に現金で隠匿されているなど、退蔵されているのなら問題ですが、贅沢品の購入などにどんどん使われてしまうのであれば、インド経済の活性化にある程度貢献するのではとも思えるのですが?
また、「海外から人材を買ってくる」にしても、せいぜいのところ「ノウハウ教育」など初等・中等教育についてであって、この映画でシヴァージによって建設される大量の大学で施される高等教育については、海外でも人材が払底しているのではないでしょうか?