
『マイレージ、マイライフ』を渋谷のヒューマントラストシネマで見ました。
この映画がゴールデングローブ賞(脚本賞)を受け、アカデミー賞の作品賞などにノミネートされたこともあって、見に行ってきました。
(1)JAL問題が世間を大きく騒がせているときに、“マイレージ”をタイトルに含む映画が公開されるというのは、まさにグッドタイミングで、当然、飛行機会社が絡むストーリーなのではと思ったわけですが、実際のタイトルは“Up in the Air”で、飛行機を多用する出張族のお話でした(注1)。
全体の印象としては、個別のエピソードがなかなか興味深く、そういったものから構成されるストーリーも実に面白く仕上がっている映画だなと思えたところです。
まず、映画の構成の仕方が面白いのでは、と思いました。リストラを宣告する側にいるはずの主人公ライアン(ジョージ・クルーニー)が、新入社員の作った新しいパソコン・システムの犠牲になりかかったり、住所は飛行機(雲の上)だとかすこぶる粋がっていた彼が、同じ種族に属しているものとばかり思い込んでいたアレックスに裏切られてしまったり、と思いがけない逆転(プラスとマイナスが入れ替わってしまう感じ)が起こるさまはかなりの面白さがあります。
フライトボードを見上げるライアンが困惑しているラストのシーンは、颯爽と飛行場を闊歩する冒頭のシーンとは対照的で、これからの行く末の大変さを象徴しているかのようでした。
こうした全体的な枠組みの中に挟まれるさまざまの個々のエピソードも、なかなか興味深いものがあります。たとえば、年300日以上(!)もの出張をする種族が何を支えにしてやる気を保っているのかがうまく描き出されていたり(マイレージの記録達成、ホテルなどでの特別待遇、身軽な生活スタイルなどといったところでしょうか)、また昨今のリストラの実態(アメリカにおいても、決してスムーズにいく手続きではないようです)なども垣間見ることができます。
そうしたところに、大学で心理学を修めた優秀な新人が新しい経営手法を編み出すと、ライアンが勤める企業がすぐさまそれを実施しようとしますが、これもいかにもアメリカらしい光景だなと思いました(注2)。
とりわけ秀逸なエピソードは、独り身を謳歌しているライアンが、妹の結婚相手に結婚の重要性を強調せざるをえない羽目になる場面でしょう。これをきっかけに、ライアンが自分の地に足のついていない生活の空しさを感じ取ってもいくのですから。
『さらば、ベルリン』や『フィクサー』以来のクルーニーですが、キャリーバッグを引っ張りながら大股で空港内を歩く姿は、よきハリウッド・スターの貫禄がうかがえるように思いました(彼が履いているスラックスの裾が、少し短いような気がしましたが、最近の流行なのでしょうか)。
(注1)『カールじいさんの空飛ぶ家』の原題が“Up”だったことが思い出されます。
(注2)映画では、この経営手法は厳しい現実に打ち負かされて撤回されてしまいます。リストラを申し渡すという重大な局面においては、やはりリストラ対象の相手と実際に対面することが不可欠だということでしょう。ただ、こんなことは心理学の初歩であって、むしろ、人のコミュニケーションにおいては、決して言葉だけではなく、身振りとか顔の表情、それにその人が醸し出している雰囲気などからも様々なメッセージが送られている、といったことは、なにも心理学によらずとも常識であり、心理学を優秀な成績で修めたくらいの人ならば、そんなことは十分考慮しているはずだとも思えるところですが。
(2)主演のジョ−ジ・クルーニーがリストラを言い渡す時の様子から、『東京ソナタ』(黒沢清監督、2008年)の冒頭近くの場面を思い出しました。そこでは、ある会社の総務課長(香川照之)が、上司から、総務部の業務すべてを大連にある企業にアウトソースすることになったからという理由で突然リストラを宣告され、事務室にあった私物を手提げ袋に入れて会社を飛び出して、失業者に食事をふるまっている公園に行ったり、ハローワークの行列に並んだり、過酷な試練にさらされます。

日本では、まさかこんなドライなことは行われておらず、リストラのシーンを強調するためにアメリカのやり方を真似ているのではと思っていたところ、いくらドライな本家のアメリカでも、リストラの宣告にはなかなか難しい問題があるようだな、ということは今度の映画を見てわかりました。
アメリカの場合は、企業に対する帰属意識よりもむしろ、仕事に対する誇りが強いのではないか、だから他への転職ということにそれほどこだわりはないのではないのかな、と思っていたわけですが、やはりアメリカでも勤務する企業に対する帰属意識・愛着は、日本に劣らず大変強いものがありそうです。
(3)映画評論家たちの評価は、総じてかなり高いように思われます。
渡まち子氏は、「あくまでも軽やかなタッチで、それでいて鋭い同時代性を湛え、深い余韻に満ちた映画に出会うことは、劇中に登場する超特権カード“コンシェルジェ・キー”級に貴重なことだ。見事な脚本の人間ドラマは、米映画の伝家の宝刀なのである」として85点を与え、
福本次郎氏も、「主人公が薄っぺらな生き方に気付き、人生に本当に必要なものは何かを問いかけ」、「カネや地位といったビジネスでの成功よりも、落ち込んでいるときに親身になって心配してくれる人が周囲にどれだけいるかが豊かさを測る物差しであると教えてくれる」として、福本氏としては大盤振る舞いの80点をつけています。
また、前田有一氏も、「空港サービスを使いこなす主人公の風変わりな生活は見ていて純粋に面白いし、コメディとしても上出来。いかにも2010年の映画にふさわしい時代性も持っているから、アメリカの流行映画を楽しみたい人には打ってつけだろう」として、70点を与えています。
ただ、前田氏は、「こういう価値観の人間が、ヒロインと連絡が取れないときにああいう行動をとるとはどうしても思えない。そこまで彼女に入れ込むというのなら、主人公が長年の夢の達成の空しさを知るなどといった、変わるに値する理由がほしいところだ」と、主人公が、ナタリーの自宅に行って家族持ちだという事実に直面する場面を批判していますが、その前から「長年の夢の達成の空しさ」に次第に気が付いていく場面が続いていて、その総仕上げとして講演会をすっぽかしてナタリーの自宅に向かってしまう場面を描いているのであって、決して唐突にそんな行動をとったわけではないことくらいは観客も十分理解できますから、「変わるに値する理由がほしい」と言われても、と思ってしまうのですが?
★★★☆☆
象のロケット:マイレージ、マイライフ
この映画がゴールデングローブ賞(脚本賞)を受け、アカデミー賞の作品賞などにノミネートされたこともあって、見に行ってきました。
(1)JAL問題が世間を大きく騒がせているときに、“マイレージ”をタイトルに含む映画が公開されるというのは、まさにグッドタイミングで、当然、飛行機会社が絡むストーリーなのではと思ったわけですが、実際のタイトルは“Up in the Air”で、飛行機を多用する出張族のお話でした(注1)。
全体の印象としては、個別のエピソードがなかなか興味深く、そういったものから構成されるストーリーも実に面白く仕上がっている映画だなと思えたところです。
まず、映画の構成の仕方が面白いのでは、と思いました。リストラを宣告する側にいるはずの主人公ライアン(ジョージ・クルーニー)が、新入社員の作った新しいパソコン・システムの犠牲になりかかったり、住所は飛行機(雲の上)だとかすこぶる粋がっていた彼が、同じ種族に属しているものとばかり思い込んでいたアレックスに裏切られてしまったり、と思いがけない逆転(プラスとマイナスが入れ替わってしまう感じ)が起こるさまはかなりの面白さがあります。
フライトボードを見上げるライアンが困惑しているラストのシーンは、颯爽と飛行場を闊歩する冒頭のシーンとは対照的で、これからの行く末の大変さを象徴しているかのようでした。
こうした全体的な枠組みの中に挟まれるさまざまの個々のエピソードも、なかなか興味深いものがあります。たとえば、年300日以上(!)もの出張をする種族が何を支えにしてやる気を保っているのかがうまく描き出されていたり(マイレージの記録達成、ホテルなどでの特別待遇、身軽な生活スタイルなどといったところでしょうか)、また昨今のリストラの実態(アメリカにおいても、決してスムーズにいく手続きではないようです)なども垣間見ることができます。
そうしたところに、大学で心理学を修めた優秀な新人が新しい経営手法を編み出すと、ライアンが勤める企業がすぐさまそれを実施しようとしますが、これもいかにもアメリカらしい光景だなと思いました(注2)。
とりわけ秀逸なエピソードは、独り身を謳歌しているライアンが、妹の結婚相手に結婚の重要性を強調せざるをえない羽目になる場面でしょう。これをきっかけに、ライアンが自分の地に足のついていない生活の空しさを感じ取ってもいくのですから。
『さらば、ベルリン』や『フィクサー』以来のクルーニーですが、キャリーバッグを引っ張りながら大股で空港内を歩く姿は、よきハリウッド・スターの貫禄がうかがえるように思いました(彼が履いているスラックスの裾が、少し短いような気がしましたが、最近の流行なのでしょうか)。
(注1)『カールじいさんの空飛ぶ家』の原題が“Up”だったことが思い出されます。
(注2)映画では、この経営手法は厳しい現実に打ち負かされて撤回されてしまいます。リストラを申し渡すという重大な局面においては、やはりリストラ対象の相手と実際に対面することが不可欠だということでしょう。ただ、こんなことは心理学の初歩であって、むしろ、人のコミュニケーションにおいては、決して言葉だけではなく、身振りとか顔の表情、それにその人が醸し出している雰囲気などからも様々なメッセージが送られている、といったことは、なにも心理学によらずとも常識であり、心理学を優秀な成績で修めたくらいの人ならば、そんなことは十分考慮しているはずだとも思えるところですが。
(2)主演のジョ−ジ・クルーニーがリストラを言い渡す時の様子から、『東京ソナタ』(黒沢清監督、2008年)の冒頭近くの場面を思い出しました。そこでは、ある会社の総務課長(香川照之)が、上司から、総務部の業務すべてを大連にある企業にアウトソースすることになったからという理由で突然リストラを宣告され、事務室にあった私物を手提げ袋に入れて会社を飛び出して、失業者に食事をふるまっている公園に行ったり、ハローワークの行列に並んだり、過酷な試練にさらされます。
日本では、まさかこんなドライなことは行われておらず、リストラのシーンを強調するためにアメリカのやり方を真似ているのではと思っていたところ、いくらドライな本家のアメリカでも、リストラの宣告にはなかなか難しい問題があるようだな、ということは今度の映画を見てわかりました。
アメリカの場合は、企業に対する帰属意識よりもむしろ、仕事に対する誇りが強いのではないか、だから他への転職ということにそれほどこだわりはないのではないのかな、と思っていたわけですが、やはりアメリカでも勤務する企業に対する帰属意識・愛着は、日本に劣らず大変強いものがありそうです。
(3)映画評論家たちの評価は、総じてかなり高いように思われます。
渡まち子氏は、「あくまでも軽やかなタッチで、それでいて鋭い同時代性を湛え、深い余韻に満ちた映画に出会うことは、劇中に登場する超特権カード“コンシェルジェ・キー”級に貴重なことだ。見事な脚本の人間ドラマは、米映画の伝家の宝刀なのである」として85点を与え、
福本次郎氏も、「主人公が薄っぺらな生き方に気付き、人生に本当に必要なものは何かを問いかけ」、「カネや地位といったビジネスでの成功よりも、落ち込んでいるときに親身になって心配してくれる人が周囲にどれだけいるかが豊かさを測る物差しであると教えてくれる」として、福本氏としては大盤振る舞いの80点をつけています。
また、前田有一氏も、「空港サービスを使いこなす主人公の風変わりな生活は見ていて純粋に面白いし、コメディとしても上出来。いかにも2010年の映画にふさわしい時代性も持っているから、アメリカの流行映画を楽しみたい人には打ってつけだろう」として、70点を与えています。
ただ、前田氏は、「こういう価値観の人間が、ヒロインと連絡が取れないときにああいう行動をとるとはどうしても思えない。そこまで彼女に入れ込むというのなら、主人公が長年の夢の達成の空しさを知るなどといった、変わるに値する理由がほしいところだ」と、主人公が、ナタリーの自宅に行って家族持ちだという事実に直面する場面を批判していますが、その前から「長年の夢の達成の空しさ」に次第に気が付いていく場面が続いていて、その総仕上げとして講演会をすっぽかしてナタリーの自宅に向かってしまう場面を描いているのであって、決して唐突にそんな行動をとったわけではないことくらいは観客も十分理解できますから、「変わるに値する理由がほしい」と言われても、と思ってしまうのですが?
★★★☆☆
象のロケット:マイレージ、マイライフ

















ストーリーの面白さが抜群でで最後まで楽しめました
監督のセンスを感じる演出も良かったですね
最後のジョージ・クルーニーの表情がなんともいえない良さを感じましたね
アメリカの場合は、自分から辞める時は、他に、もっと条件の良い仕事がみつかったからと言うのが普通で、勤めている会社に未練が無いみたいだけれど、辞めさせられるのはプライドが、かなり傷つくのと、その後の職探しにもマイナスになるのとで、怒りが大きくなるらしい。
でもね、後になって、多くの人達が辞めさせられて良かった、それがバネになったとか、自分に合う仕事に出会えたとか、幸せに成ったとかと言ったりしている。そうじゃない人達も、もちろん、いるけどね。特に不景気の今は、辞めさせられたら辛いと思う。
結局また「宙ぶらりん」だわという原題が「飛行機マイレージこそわが命」という邦題に変わって、イメージが相当かわるものです。終わりの心境なのか、始まりの心境なのかというところなのですが。ともに、あまり共感できないし、主な登場人物に対してもそうだったので、評価が低くなったのかもしれません。
確かに、目を広げてみたら、この映画は「普通の作品」なのかもしれず、「アメリカ映画の質」は、「これくらいで評価できるのなら、レベルが下がったのではないか」と言えるのかもしれません
おっしゃるように、「立体映画や神やアンダーグランドものの娯楽作品」はモウいい加減にしてくれと思います。
ただ、もしかしたら、日本で公開されているこうした映画は、アメリカ本国で制作されている映画のホンの一部に過ぎず、これらをもって「アメリカ映画の質」を判断するのはやや無理があるかもしれません〔特にコメディ映画は、殆ど日本に入ってこないようです〕。
逆に言えば、こうした映画の興行成績が良いのは、日本の観客の質を表しているとも言えるのではないでしょうか?
また、クマネズミとしては、この映画は、G・クルーニーを迎えながらも至極チープな作りになっている点などから、ゴージャスな構えで他愛ないエピソードをちりばめつつも、結局はハッピーエンドを迎えるという従来型のハリウッド映画とは一線を画す出来栄えではないか、とも思った次第です。