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ふがいない僕は空を見た

2012年12月05日 | 邦画(12年)
 『ふがいない僕は空を見た』をテアトル新宿で見ました。

(1)評判を聞き込んで見に行ってきましたが、まずまずの出来栄えではないかと思いました。

 映画は、ある家に入ってきた制服姿の高校生が、コスプレ衣装に着替えて、これまたコスプレ姿の女とベッド・インするところから始まります。



 二人は、ノートに書いてあるシナリオに沿って話したりするところ、どうやら女はその家の主婦・里美田畑智子)で、夫がいない昼間にその高校生・斉藤卓巳永山絢斗)を引っ張り込んでいるようです(注1)。
 卓巳は、助産院を営む母親(原田美枝子)と暮らしているところ(注2)、学校では同級生の女生徒から告白されたりして、里美との関係を絶とうとしますが、なかなか断ち切れないでいます。



 この映画には、もう一人クローズアップされる人物が登場します。
 卓巳の親友である同級生・福田良太窪田正孝)で、母親は近くにいるものの義理の父親と一緒のため、痴呆症の祖母とともに別に暮らしています。



 両親の稼ぎが少なく援助など期待できないことから、良太は、コンビニでのアルバイトや新聞配達などをして、生活費や学費を稼いでいる始末です。
 こうした状況の中で、卓巳と里美の情事の画像があちこちにばらまかれてしまい、皆の知るところとなります。
 さあこれから物語はどのように展開されていくのでしょうか、……?

 卓巳と里美の話がメインで描かれると思って見ていたら、途中からまるで良太が主人公のようになって、二人が暫く画面から消えてしまうとか、コスプレ、痴呆老人、体外受精などなど、現代日本で見かける風俗や社会問題が次から次へと描き出されたりして、全体としてゴッタ煮のような印象を受けてしまいますが(従って、上映時間も142分!)、却って見る者に、人々の多様な生きる姿を生のまま突きつけてくれているようにも思いました。

 主演の永山絢斗は、『I’M FLASH!』で見かけましたが、多面性を持った卓巳役を実に上手くこなしていると思います。

 また、田畑智子は、一昨年の『さんかく』での演技がすごく印象的ですが、本作においては、さらに体当たりで頑張っていて感心しました。

 さらに、窪田正孝は、『はさみ』で、理容学校の先生・池脇千鶴の生徒役を演じていました。

(2)劇場用パンフレットに掲載されている「director’s interview」において、タナダユキ監督は、「卓巳と里美のラブストーリーであると同時に、群像劇にしたいという意識が最初からありました」と述べています(注3)。
 そんなところからなのでしょう、この映画に登場する主要な人物は、卓巳と里美のみならず皆、複雑な性格付けがなされています。

 良太は、祖母と一緒に暮らすためにいろいろアルバイトまでしていますが、最後にはアルバイト先のコンビニで、出しっ放しの店長の財布から金を盗み取ろうとして、クビになってしまいます。
 また、同じコンビニで働く先輩・田岡三浦貫太)は、こうした環境から抜け出すには勉強しなければだめだなどと言って様々のアドバイスをしていたものの、児童ポルノ撮影の咎で逮捕されます(注4)。
 里美の夫(山中崇)は、酷いマザコンで、里美が作ったものには手をつけずに、母親が作った朝食の方をおいしいと言って食べますが、他方で、里美の不倫が分かった後も、彼女とは絶対に別れないと言い張ります。

 男だけでなく女の方も、様々の問題を抱えています。
 里美の義理の母親は、孫の顔が見たいという執念に取り憑かれていて、子供が出来ない里美に向って、結婚前に病院で検査をしてもらえばよかったとまで言う始末です(母親の命で体外受精までしますが、上手くいきません)。
 また、良太の母親は、マチ金に借金があるらしく、携帯に電話がかかってきたりして、果ては、良太が米櫃の中に隠していた預金通帳からなけなしの金を引き出すことまでするのです。

 なかでは、助産婦の卓巳の母親だけが、比較的マシと思われます(注5)。
 この世の荒波にもまれて皆が皆おかしくなってしまうところ、赤ん坊の誕生の瞬間だけは真実の喜びが感じられるということなのでしょう。

 ただ、これだけ様々の性格付けをされた登場人物たちを映画の中で上手く描き出し、一本の作品にまとめ上げるには、製作者側によほどの力が必要なのかもしれません。本作の構成については、映画評論家がすでに指摘しているところながら、一考の余地があるのではないか、と思いました(注6)。

(3)映画評論家の宇田川幸洋氏は、「性と生、生まれることと生きていくことが、郊外の人間模様のリアルなスケッチの上に浮き彫りになる。それを見つめる監督の目はたしかで、信頼がおける。しかし、構成の技法には疑問を感じる」として★4つを付けています(☆5つのうち)。



(注1)里美は、夫に愛情を感じていないようですが、それでも精一杯尽くそうとはしています。
 なお、里美は、小遣いとして2万円を卓巳に手渡します。

(注2)卓巳は、家に戻って母親からお産の手伝いを求められると、嫌々ながらも慣れた手つきで対応します。

(注3)次の(3)でも触れる宇田川幸洋氏は、本作について「群像劇としても、余りに散漫だ」として、「原作を読んで、理由がわかった。小説は短篇連作形式で、5人の人物のかたりになっている。映画はこれをある程度なぞっているがうまくいっていないのだ」と述べています。
 確かにそうなのでしょうが、窪美澄氏の原作に基づく以上、「原作をある程度なぞ」るのは当然であって、問題はあくまでも脚本家と監督による「なぞり方」なのではないでしょうか?
 なお、この点については、映画評論家の小梶勝男氏も、「短編の連作を映画化したため、卓巳と、主婦と、貧困から抜け出そうと苦しむ卓巳の親友の物語が、バラバラに感じられる」と述べているところです。

(注4)さらに田岡は、以前は、有名予備校の人気講師だったところ、同じ犯罪でその職を追われてしまったとされています(父親は病院長で、金には困らないようです)。

(注5)ただ、自然分娩を推奨するものの、産院に救急車で運びこむ破目になったりもします。また、別れた夫から連絡があると、密かに金を手渡したりもしています。

(注6)雑誌『シナリオ』12月号掲載の「脚本家インタビュー」において、本作の脚本を書いた向井康介氏は、作品の構成につき、「大きく3回くらいバッサリ変わったんですかね」、「最初、卓巳から始まってたんです」、それを変えて、「卓巳・あんず(里美)VS福田で、最後母親が締める、みたいな分量がいちばんバランスがいいんじゃないかと思って、やってみたらまあ上手くいった。だから二人が最初に出てきて、窪田くん(福田良太役)、母親ってことになっていったんですけど」などと述べています(同誌P.73)。
ただ逆に、本作では、卓巳・あんずの話を最初にまとめて描いたために、次に良太が前面に出ると、彼らが画面から消えてしまうことになってしまったのでは、と思われます。
 そこを、向井氏が言う最初の案のように、「あんずだけ窪田くんの後に入ってきたりして、あえてゴチャッとまぜてみた」ら、どのような作品になったのでしょうか?
 こんなことを言うのも、向井氏が、「タナダさんとの相性もいいんで。あの人、すごくホンを尊重して撮ってくれる。セリフとかにしても」と述べているところから(同誌P.74)、作品の構成に関しては向井氏によるところが大きいと考えられるからですが。



★★★☆☆






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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
構成 (ふじき78)
2013-01-06 07:34:20
という裏話の元、構成されてたのですね。最終的に永山君が主役を取り戻しきらなかったので落ち着きが悪くなったような気がします。
二兎 (クマネズミ)
2013-01-07 21:24:25
「ふじき78」さん、新年早々にTB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、本作は、群像劇とラブストーリーとの二兎を追ったがために、なんだか中途半端な感じの作品になってしまったのではと思いました。

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