未だ薄暗いのに、新聞を取りに庭に出ると小鳥のさえずりが聞こえた。彼等の出勤時間は早いらしい。
赤い鳥の「翼を下さい」は歌い継がれて行く名曲だ。誰しも翼が欲しいと思う時があるしあったと思う。
確かに人には翼のある鳥が自由に飛んでいるように見える。しかし、鳥は決して自由に飛んでいるわけではない。鳥として生き延びるために、子孫を残し命を繋ぐために飛んでいるのだ。
自由に見えるとして、自由とはなんぞやと考え出せば、それこそ果てしない。意識があるから自由を感じるのではないかと思うが、とても私の脳に余る問題なので深入りはしない。
ただ、想像力は翼と申し上げたい。歴史に、たられば、はないとよく言われるが、私はそんなことはないと思っている。たらればを想像することなしに、歴史を知ることに楽しみや魅力はないと思う。たらればはなぜと不可分に結びついており、想像力をかき立てられ人は歴史を辿り、歴史を学ぶと思う。何を言うか、歴史は小説とは違う想像は無意味と言われる学者には、一臨床医の言葉なんぞ歯牙に掛けられないとしても、一流にはなれないと申し上げたい。勿論、歴史だけでなく科学にも想像力は欠かせない。
脱線、大口を叩いたけれども、今の若い人達に想像力の翼を持って欲しいと申し上げたかった。ちょっと想像力とは感じが違うかもしれないが、相手の立場になって考えることも大切な想像力だと付け加えたい。