駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

どうぞ、お引き取り下さい。

2013年02月23日 | 診療

      

 「どうされました?」。

 「ちょっと胸の写真を撮って欲しいんです」。

 「えーと、胸が痛いんですか?咳や痰がでますか?」。

 「何でもないんだけど、なんだか気になるので」。

 「どういうことでしょう。病気でないのに保険で写真は撮れないんですよ」。

 「そうなの、高血圧の薬は飲んでいるんだけど」。

 「えーっと、アムロジピンにアトルバスタチン、チクロピジン・・高脂血症の薬に抗血小板薬も飲んでいらっしゃるじゃあ、ありませんか。お薬を貰っている先生の所で撮って貰えばいいと思いますよ」。

 そんな、ヒラメのような眼で睨まないようにお願いします。お代は結構ですので、どうぞお引き取り下さい(ここは自働証明写真館ではありません)。

 頑なあるいはちょっといけずかもしれんが、譲れんなあ。

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「けいき」のきは気

2013年02月22日 | 町医者診言

            

 町医者の経済診立てを一席、

 通称アベノミクスは今のところ好調のようである。勿論、辛口の批評もあるが、かき消されている。アベノミクスの実態は何かと言えば物価上昇目標を設定してデフレを脱出しようという目論見らしい。民主党による似たような試みが全然効果がなかったのに、今回効果が出てきているのはなぜか。要するに民主党には信用がなかったのに自民党にはまだ信用が残っていたということのようだ。同じ一票でも自民党支持者の一票の方が資金の重みがあると見る。

 脱デフレといったところで実際に実のある利益を生み出す投資先が出現したかどうかは怪しいもので、取りあえず空回りにしても動き出せば儲かるチャンスがあると八割の資産を有する二割の人が腰を上げたのが、本当のところだろう。景気の気は気持ちの気でその気になったということだ。

 ライトウイングのRをLと紛らわしく発音し、参院選までは衣の下の鎧を隠す作戦の二枚目俳優安倍首相を菅官房長官以下の腹心が擁護している構図が見える。安倍首相そのものは高く評価していないがこの腹心はマジ命までも投げ出しかねない強者のようで、不協和音を内包する民主みんな維新には手強そうだ。

 心情?リベラル?の私も、この機会を逃したくないと感じるくらいだから、取りあえず日本丸は面舵で景気浮揚ということだろう。但し、船を動かすエネルギーが「気」のことは心しておかねばなるまい。

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居ることがわかる人

2013年02月21日 | 診療

                      

 二月も後一週間になった。陽射しはどこか春めいているが吹く風はまだ冷たい。東風が吹いたかどうか知らないが梅が咲いてきた。

 なぜ居るのが分かるかと言えば騒がしいからだ。待合室と診察室は7-8m離れているのだが、何時も大きな声で誰彼となく話しかけてしゃべらずにおられない人が居る。四、五十人に一人くらいの感じで、以外に男性の方がやや多い。何を話しているかまでは分からないが声の感じで、また来ているなというのがわかる。話し相手の声は聞こえない。相手の声が小さいのか、返事なぞしていないのか。どちらにしても、そんなことはお構いなしに話し続けてしまう。考えていることが次から次と言葉になって出てきてしまうらしい。

 我が医院を褒めるのも貶すのも、話す前にちょっと考えるということがないから、お構いなしだ。慣れない事務員や看護師は薬がちっとも効かないだの、女房が朝飯を食べさせてくれないだの、聞き捨てならないことをいかつい男が大声で話すものだから、びっくりする。慣れた職員は馬耳東風に聞き流している。

 そうした患者の一人、Sさんが来なくなって久しい。交通事故を起こし、骨折で通院できなくなったのだ。退院しても、息子が運転させないと言っているので、もう来れないだろう。待合室が静かになったが、なんとなく淋しい。

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大人の智慧を

2013年02月20日 | 町医者診言

              

 大人の智慧などと書いた。自分に村の船頭を引退するような歳になって、十分な大人の知恵がある自信はないが、大人の智慧について語ることはできそうである。大人の智慧は物事を断片で捉えないところにあると思う。物事には時空の広がり、つまり全体像があるということを知っている智慧、人の一生になぞらえれば可愛い幼児期から生意気で不安定な青春を経て一家を成しやがて老いて消えゆく一生という経過を物事は包含しているということを踏まえ弁える能力だ。

 勿論、大人の智慧にはまだ色々あるだろうが、日本のジャーナリストにはこの大人の智慧が足りないと思う。いつものことで受け手側にも問題はあろうが、優れたジャーナリストを目指す人間には認められない言い訳と思う。

 新人のジャーナリストには少なくとも一つの外国語を自家薬籠中の物とし十分歴史と地理を勉強し、先輩を反面教師にと申し上げよう。

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慢性胃炎はどこへ行った

2013年02月19日 | 医療

             

 僭越ながら内科学会誌一月号の機能性消化器障害特集を読みながらふと思った。

  三十年くらい前までは微に入り細に渡る慢性胃炎という概念が上部消化管診療の中央に横たわっていた、ように消化器が専門でない私には見えた。何と言っても上部消化管症状を訴える患者は多かったし、消化器を専門とする医師も多かった。診断には胃透視と内視鏡という二大画像診断手技に加え、顕微鏡の組織検査があり、そして潰瘍の治療には手術療法が君臨していた。

 微細な形態分類と徒弟制度で教え込まれる画像診断に目の回る忙しさ、とてもじゃないが、何だか変だぞとは言い出しにくい雰囲気が漂っていたのだろうと想像する。患者は色々訴えるのにさほどの異常所見はないようだが、慢性胃炎でいいのだろうか、慢性胃炎の組織になんだか細菌のような物が見えるのだが、これは問題にしなくていいのだろうか。

 それがやっぱり外来の黒船到来によって崩されていった?。即ち、H2ブロッカーという薬物の発明とピロリ菌の病原性の発見があり、臨床最前線では症状と所見の不一致をきちんと受けとめる概念が出てきた。

 今ではH2ブロッカーとPPIのお陰で、胃十二指腸潰瘍の手術療法の適応は限定されたものになった。ピロリ菌の病原性の確立と除菌療法によって、胃癌の予防まで望めるようになってきた。症状と画像診断の乖離も実態に則して機能異常と捉えられるようになり、治療戦略も心身医学的な手法も加わり総合的なものに変わってきた。

 コペルニクス的転回後の日本人の活躍は素晴らしいのだが、これだけ消化器症状を訴える患者が多く居て胃透視と内視鏡で先駆けてきた日本でピロリ菌の病原性の発見とH2ブロッカーの発明ができなかったのは残念な気がする。何かちょっと変わったことを考える人間を好まない雰囲気と好まれなくてもへこたれない頑強さの欠如が其処にあったように思うのだが、如何なものか。

  

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