駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ふしぎなキリスト教

2011年10月05日 | 

 

 橋本大三郎と大沢真幸の対談によるキリスト教の成り立ちと内容を解説した本で、斬新で包み隠さず成る程と思わされる説明と解釈が展開されている。実は読んだのは三ヶ月ほど前で、詳しい内容はよく憶えていないし、正確に理解できたかは覚束ないのだが、いつも読んでいるブログでの書評を見て、わしも一言と思った。

 キリスト教を俎上に乗せて忌憚なくというか赤裸々にカラクリを解き明かした本は、こうした分野の本に詳しくはないが初めてではないかと感じた。平明な解説ではあるが、何というかそこまで書いていいのだろうか(現代人感覚の解釈)、そういう風に書いていいのだろうか(微細史の一場面)という感じがする部分もあった。

 それには、その前に佐藤優の初めての宗教論を読んでいた影響があるかもしれない。佐藤優の宗教論もどこまで理解できたか心許ないし、内容は殆ど忘れているのだが、二つの本の印象の違いは大きいので、的外れかもしれないが書いておきたい。

 それは信仰というものを内面で理解しているかどうかの違いから来ているようで、端的に言えばふしぎなキリスト教は乾いて面白く、初めての宗教論は温かく厚く感じた、不思議なキリスト教では特に橋本大三郎に宗教論と宗教史への理解は深くても宗教の理解はどうも希薄という印象を受けた。それは、信仰心の欠如(行き過ぎた忖度かも知れない)から来ていると感じられた。勿論、信仰心などというものは学問の対象外だろうし学問に不可欠なものではないと言われれば確かにその通りなのだが。

 私はクリスチャンでもムスリムでもない。深く考えもしない科学信奉者が適当なところなのだが、宗教の持つ敬虔な感覚は分かる気がしている。帰依とか殉教などにはほど遠い世界に生きているが、そうしたものを尊ぶ感性を持ち合わせているので、この違いに敏感なのかも知れない。

コメント
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