駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

得手不得手、残るのは

2020年12月03日 | 診療
             

   得手不得手は誰にもある。そして誰にも、いつかは認知(呆け)が忍び寄ってくる。呆け方には個人差があるのだが、どうも人は方向としては得手に呆けて行く。偏った方へと言った方が正確かもしれないが、性格に沿って性格がデフォルメされるように惚けて行く人が多い。中には、今までと全く違った感じになる人もおられるがそれは少数派だ。
 その方が良いというと言い過ぎかもしれないが、傍らに居る者には楽しく呆けてもらえると有り難い気がする。「**さん、おいくつになりますか」。「えーと62かな」。と困ったような顔をしてにっこりする。まあ実年齢より多く言う人は滅多にいない。たいてい20くらい鯖を読む。あんまり呆けないで、世界の不幸を背負ったように額に皺が寄り、怒ったり愚痴ばかり言うようになるとなかなか近寄りがたくなる。
 まあ誰がなんと言おうと、世の中は不公平にできている。せめて、終わりは少しでも楽しければいいなあと願うのだが、そうばかりでもないのはいかんともしがたい。暴力爺さんや陰々滅々婆さんよりもなんだかにっこりありがとうの方が気が休まるのだが、相手を選ばない仕事だから同じように診察している。
 漫才のぼけにはかなりの頓知がいるし皮肉屋はたいてい知性派としたものだ。ところがかなり認知が進んだ人でも素晴らしいぼけを言われる人やきつい皮肉を言われる人が居てびっくりすることがある。とてもお襁褓をしている人とは思えない。
 認知の効用と言えるのか、認知が進んだ方が終わりが楽なのかもしれないと推測する。ものすごく認知が進んだようでも、大事なことはちゃんとわかっていて最後までお礼が言えればなあ。
コメント (2)
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