駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

そっとしておいてあげる

2019年05月29日 | 小考

      

 

 昨日今日と曇り空だが、その分湿度が高いようで蒸す。通勤ですれ違う人追い越してゆく人は大体決まっている、乗降時のメンバーもほとんど同じだ。あたり前のように思っていたが、これは安心なことかもしれない。いつも階段を早足で登り追い越してゆくお姉さん、アラフォー?にしてはお元気と思うのだが、そんなに急ぐなら電車を一つ早いのにしたらと改札を出て走り出す後姿を見て思う。いつかなんでそんなに急ぐのと聞いてみたいが、何この爺と思われるも嫌なので実現していない。しかし何はともあれお互い危険人物ではないのは確かだ。

 無差別大量殺人犯は一体なぜどういう人物なのだろうかと思う。予想困難な被害を防ぐのは容易ではない。しばしばおとなしい目だたないと言われる。これは実際におとなしいというよりは他者との交流がないあるいは少ないということではないだろうか。人を診る仕事をしているがそれは数多い人に会う仕事でもあり、実は人を殺した人を一人、自死した人を複数、介護無理心中を二例知っている。人を殺めた人の印象はやはりおとなしい、今から思えば外からうかがい知れない人物だった記憶がある。自死した人にはええどうしてあるいはそういえば苦しそうだったという印象が残っている。無理心中はつらさの中にどこか諦観があったように感ずる。こうした忖度は無用のことで私ごときが書くのは行き過ぎの気もするが、何か無差別大量殺人を犯す人には共通点があり、いくらかでも防ぐ手立てはないものかと書かせてもらった。具体的で有効な手段の一番は凶器となり得るものの管理だろう。包丁は日常で使うものだから、管理は難しいかもしれないが、売る人は何かおかしいと思うこともあるのではないか、住所氏名くらいは書かせても良いと思う。

 こんなことで命を奪われた肉親をお持ちの人の気持ちは想像できない程辛く、これからの人生に及ぼす影響も測り知れない。そっとしておいてあげるのが一般人にできる最善のことのように思う。

コメント
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