駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

いつかではなく、今でしょ

2017年10月27日 | 世の中

     

 見苦しいとは知りながら電車で席が空くと駆け寄っている。朝の通勤時間帯は若い人が多いから黙って譲ってくれる、有難い。今頃になって五十年前の古傷が痛み出した。学生時代、膝を怪我して三週間ほど入院したことがある。年配(お爺さんに見えた)の主治医に「足の悪い先生(本当はびっこの医者と言った)と言われるといけんからな」と安静を指示され、お陰で後遺症もなく過ごしてきたのだが。今頃になって階段の昇降時僅かに痛むようになった。

 年を取ると自然に昔のことをあれこれ思い出す。あんなに世話になったのに何のお礼もできなかったと思い出す人は数多い。こんどとかいつかは来ないというのに気が付くのは、年を取ってからで、若い時は無我夢中で走ってしまう。

 私の医院ではホワイトボードにどこの病院に誰を紹介入院させたかを書いている。ほとんどの病院はきちんと転帰を報告してくる。S病院は偉そうな理念を掲げてはいるが、入院しましただけでどうなったかを、半年一年経ってもうんともすんとも連絡してこない症例が多い。高齢の患者さんが多いので亡くなったのだろうと推定してはいるが、送った方が気に掛けていることをご存じないようだ。しびれを切らし一筆書いたところ、事務長が飛んできて申し訳ありません、直ぐ報告させていただきますと頭を下げて行った。

 どうしてそうなっているは分かっている。上司の目が医員に行き届いていないのだ。組織を滞りなく闊達に運営することは難しい。外部からは問題点が見えるし指摘しやすいので、素性の分かっている同業者には遠慮なくご注意申し上げている。ほんの少し副作用があることもあるが概ね前向きに受け取られ、関係が良好になることが多い。

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