今手許に本がないので正確な言葉を書き写すことは出来ないが、辻まことの言葉に確か優れた仕事は、学歴や役職など全ての付帯物を取り去ってもなお傑出した人に依って為されると云うのがあったと記憶する。それは城山三郎の粗でも野でも構わんが卑では困るという見解に通じるものだろう。
衆愚政治を避ける鍵は、人物の真贋適応を見破る眼力にあると思う。難しい理論を理解し該博な知識を身に付けることや米俵を担ぐ膂力や箱根の山を駆け上る体力を持つことは一部の選ばれた人達だけに恵まれることではあるが、人の真贋適応を見分けることは誰にも辛くもそして漸くではあるができるのではないか。
それでも、なんというかとどのつまりは善悪虚実賢愚はいつも五分五分、果たしてどうなってゆくのだろうかと危惧している。
菅という人はリーダーとしての力不足を露呈したと思っていたが、どうも卑しいところが垣間見えてきたと感じるのは私だけだろうか。