駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

一見さんは初診に似て

2011年01月04日 | 世の中

 大した甲斐性もなく一見さんお断りの店に連れて行って貰ったことはない。当地にははっきりと一見さんお断りと謳った店はないようだ。あるいはそれに近い風体人品を見てそれとなく断る店はあるかもしれないが。

 馴染みの店はいくつかあり、居心地良く飲食を楽しんでいるのだが、最初は初めてだったわけで、双方に微かな緊張があった記憶がある店も多い。むしろそうした初見の緊張があった店の方が、気に入って長続きし馴染み客となっていけるようである。

 この一見さんお断りには、不快感を持たれる方も居られるようだが、私には良く分かる感覚だ。というのは医者というのは診察を拒否することはないのだが、初診の患者さん、特に混んでいる時、には非常に神経を使うからだ。十分な時間を取れれば、患者さんの訴えを吟味して、適切な対応が取りやすいのだが、混んでいる時には良い対応ができないこともある。その主な理由は大人の患者さんは意図があるなしに拘わらず、自分の解釈を訴える人や不平不満に満ちた方が居られ、訴えの評価が難しいからだ。初めての時、医者からの紹介などなくても、「**町の・・さんに、ここが良いと聞いて来た」。という一言だけでも、要するに妙な人でないことがわかるのでとても助かるのだ。

 この一見さん云々の後ろには、単なる飲み食い以上の時間空間の提供ができますよというメッセージが込められているように思う。街場の臨床医も本当は風邪や高血圧といったよくある病気だけを念頭に診察しているわけでないので、一見を超えて掛かり付けであることの意味合いというか大切さを理解していただけたらと願う。

コメント (2)
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