駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

診療後の感覚

2011年01月06日 | 診療

 正月休み明けだから忙しいのは止むを得ない。それに、長く休んでいたために診療感覚がすぐに戻らず、最初の数人はもたもた診ることになる。そうして診療が終わって、疲労と共に微かな不全感を感じた。

 別に医業でなくとも、多くの仕事に共通した就労後の感覚だと思うが、あれでよかったのだろうかという気懸りが残るのだ。月に二三度はほぼ完璧に診察ができたとすっきりした気持ちで、医院の鍵を掛けることができる日もあるが、大抵は大なり小なりの気懸かりと共に診療を終える。

 多くの場合は五、六分で次の会合や夕食に心が向かい違和感は消失してしまう。時には夜半まで気に懸かることがあり、教科書や文献を読んで次の手を考えたりすることもあるが、そういう時は具体的な問題のことが多く、翌日連絡したり次の診察時に解決できることがほとんどだ。

 ぼんやりとした不全感は色々なことから生じていると思うのだが、一つ明らかなのは、昔とは違う配慮をすることが関係している。それは不本意だが時に防衛的に対応しているからだと思う。万一の訴訟や非難を避けるために本当はそこまでしなくてよいことをやったり、本当はそれをやった方がよいこと他へ回したりしていることからくる不本意の残滓を診療後感じるのだ。そういう教育を受けてこなかったしそういう方式を好まないことが、小さなストレスを生んでしまうらしい。尤も、恩師も世の中変わったから止むを得んだろうと苦笑されるだろう。

 相互理解からの深い信頼があればそうした無用な配慮を必要としないので、気持ちよく診療できるし結果も良いことが多いのだが、まあ患者さんは選べないので、こうした対応が続くだろう。

 医学が進歩したのは本当だが、完璧からは程遠く、あなたが幸運とは限らないのですと患者の皆様に申し上げたい。

コメント (2)
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