このところ平櫛田中彫刻美術館は積極的だ。一月は「生前の秘蔵映像公開」があった。井原市田中美術館(岡山県)によってデジタル映像としてよみがえったものという。若き日の田中と期待したが作品は別として、本人の映像は98歳の小平転居後のものばかりだった。二月は特別展「ロダンと近代日本彫刻」を3月中旬まで開催する。期間内にはロダンをテーマに市民文化会館での講演会やコンサート、放送大学での講座などの連携企画が開かれる。
牧太郎は毎日新聞の夕刊コラムの月曜の担当者である。「大きな声では言えないが・・・」という題のコラムだ。話のネタに料亭の女将であったという母親や、新聞嫌いの元官僚の言葉がときおり登場する。新年会で横に座った元官僚が妙な話を持ち出した。「毎日新聞社には倉庫はないのか?あれば遺体ホテル事業に参入すればいい。某印刷会社はこれで株価が上がっているらしい」遺体ホテル?がビジネスになる理由はこうだ。(多摩湖にて)
団塊の世代が早晩、大量に死ぬ。2030年には年間160万人!に達するらしい。火葬場が足りなくなる。そこで遺体を安置するホテルが必要になる。「倉庫業やバス会社が新規参入しているらしい」と、元官僚は多死社会の一面を解説してくれた。牧はこの記事を「株はバクチと同じ。金持ちが勝つ!」と母親に教えられたと書き出し、日本人は内心バブルを期待しているのだろうか?と結んでいる。
五木寛之は「子や孫に囲まれて息をひきとるようなことはもうあり得ないと思ったほうがよいのではないか。最期は一人でこの世を去る覚悟を持たないといけない時代でしょう。単独死、孤独死が悲惨だとは思いませんね」と語っていた。樋口恵子は名刺の余白に「回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします」と書いて日付、サイン、押印したものを保険証と一緒に携帯しているという。