玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*夏の帰省

2007年08月11日 | 捨て猫の独り言

 この3月に続き今回は5泊6日で単独の帰省をした。お盆の帰省ラッシュの前である。年老いて二人で過ごしている両親は相変わらず元気であった。日が落ちて三人で外出した時に気付いたがさすがに歩行速度はゆっくりになっていた。帰宅してみると東京はうだるような暑さが続き、その後なかなか日常にもどれなくてぼんやりと過ごしている。

 今回の帰省ではこちらから連絡して懐かしい叔父と会った。大学入学の頃の私に繁華街での楽しみ方を手ほどきしてくれた人だ。その強烈な記憶は今でも強く残っている。叔父は子供に恵まれなかった。人の気持ちをそらさない話術は相変わらずであった。私より7つ年上だ。それほど若くもない私達はあの頃の二人に戻ってその日いつまでも帰宅しようとしなかった。

 その後遺症を引きずりながら一日置いて鹿児島市武(たけ)の長島美術館を訪ねた。長島企業グループの創始者は大正9年に大島郡喜界町に生まれた。若くして関西に出で、戦後鹿児島で遊技店を創業した。私の父の話によると戦後のドサクサに黒砂糖で資金を得たという。そして平成元年に桜島を見下ろす武岡台に美術館が建設された。年中無休で付属の施設で結婚式が行われることもある。高くそびえるヤシの並木はいいが、広場の中央に配置された一本の欅の木は何か場違いである。上に伸びず横に広がっていた。

 高校野球のおらが郷土代表の戦いぶりは気にかかる。毎日ぼんやり過ごしているとなおさらテレビの実況にのめりこむ。鹿児島代表の神村学園の主戦投手は奄美の出身と紹介されていた。対する金光大阪の主戦投手は清潔感溢れる笑顔が印象的だった。奄美の子はあの大きな舞台ではなぜか笑うことはないのだよね。私にはよく解る。

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4 コメント

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あのあたりを歩きまわって、長島美術館を探しあて... (探しあてず)
2007-08-13 10:41:32
あのあたりを歩きまわって、長島美術館を探しあてず、坂をのぼったり降りたり、運動にはなりましたけど。案内看板が不親切じゃなかとかいね。叔父上との懇談、いいですね。私は親戚にトラウマがあります。お子さんに恵まれなかったとのこと。それぞれの安寧と幸福の中におられると拝察。異性を好きなる、結婚する、それさえもままならないも多々。幸や運のものさしは各人がもっており一律ではない。死ぬときは平等に一人です。言わずもがなのコメントでした。
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実家の母を連れてお墓参り。長島美術館の入り口に... (ガーネット)
2007-08-13 19:57:32
実家の母を連れてお墓参り。長島美術館の入り口にある墓地です。探しあてずさん、美術館は墓地を登りつめた一番奥、ワシントン椰子(?)がそびえているところです。ここからの眺めはとてもいいです。またぜひ出かけてください。
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私はこの夏の炎天下おそらくガーネットさんゆかり... (捨て猫)
2007-08-14 22:32:00
私はこの夏の炎天下おそらくガーネットさんゆかりの墓地の横を通り徒歩で長島美術館に登り着きました。確かに土地勘のない人には美術館を探しあてるのがむずかしい状況でした。美術館のすぐ下にあるのが私の母校である武中学校です。昭和35年に私が卒業後ばらくして武中学校はこの高台に移転しました。これほど鹿児島市が山を切開き膨張するとは当時は想像もできません。美術館は夏休みの土日に限り中央駅から送迎バスの運行があります。武岡トンネルの入り口の上に昔からの建部神社がありそこから整備された昔からの階段があります。そこを登ると武中学校の校庭に出て校舎の上に美術館が重なるように見えます。校庭を通り抜けて墓地に辿り着きます。その先が美術館です。この秘密のルートは今回私が後輩にあたる中学生から聞き出したものです。その場にいた大勢の中学生のうちの一人の男の子は体を斜めにし校庭の隅にある鍵のかからないフェンスを通り抜ける仕草をしながら私に教えてくれました。帰りはそのルートで降りることにしました。
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・・・奄美の子はあの大きな舞台ではなぜか笑うこ... (最後の一行(に余韻あり))
2007-08-15 11:02:53
・・・奄美の子はあの大きな舞台ではなぜか笑うことはないのだよね。私にはよく解る。・・・
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