この3月に続き今回は5泊6日で単独の帰省をした。お盆の帰省ラッシュの前である。年老いて二人で過ごしている両親は相変わらず元気であった。日が落ちて三人で外出した時に気付いたがさすがに歩行速度はゆっくりになっていた。帰宅してみると東京はうだるような暑さが続き、その後なかなか日常にもどれなくてぼんやりと過ごしている。
今回の帰省ではこちらから連絡して懐かしい叔父と会った。大学入学の頃の私に繁華街での楽しみ方を手ほどきしてくれた人だ。その強烈な記憶は今でも強く残っている。叔父は子供に恵まれなかった。人の気持ちをそらさない話術は相変わらずであった。私より7つ年上だ。それほど若くもない私達はあの頃の二人に戻ってその日いつまでも帰宅しようとしなかった。
その後遺症を引きずりながら一日置いて鹿児島市武(たけ)の長島美術館を訪ねた。長島企業グループの創始者は大正9年に大島郡喜界町に生まれた。若くして関西に出で、戦後鹿児島で遊技店を創業した。私の父の話によると戦後のドサクサに黒砂糖で資金を得たという。そして平成元年に桜島を見下ろす武岡台に美術館が建設された。年中無休で付属の施設で結婚式が行われることもある。高くそびえるヤシの並木はいいが、広場の中央に配置された一本の欅の木は何か場違いである。上に伸びず横に広がっていた。
高校野球のおらが郷土代表の戦いぶりは気にかかる。毎日ぼんやり過ごしているとなおさらテレビの実況にのめりこむ。鹿児島代表の神村学園の主戦投手は奄美の出身と紹介されていた。対する金光大阪の主戦投手は清潔感溢れる笑顔が印象的だった。奄美の子はあの大きな舞台ではなぜか笑うことはないのだよね。私にはよく解る。