玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

22)kumarをモット知る

2006年04月13日 | ピースボート世界一周

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 3月16日kumarがgunnに倒れてから4Wが過ぎました。未練と思いつつも、私達の悲しみが次第に薄れていくのも止むを得ないことです。そういう意味合いもあってあと1、2回立ち止まってみようと思います。

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 船内の企画に「GET Closer with (  )」というのがあってGET teacherの自己紹介や質問コーナーがあった。先生方も色んな所から応募してきており、自分達もその人を知りたいという訳で参加者が多く好評な企画の一つだった。私も時間の空いている限り出席した。勿論hearingの練習も意図していた。以前書いた「世界の平和も大事だけれども、足元の自分の平和もモット大事では?」と質問したのもこの場だった。

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 船内企画「サァーファー哲学入門」紹介では、船内新聞のインタビューを受けて答えている。peace boatとの出会いは宮崎で英語教師をしていた時。今回は5回目の乗船。楽しい事はGETの先生と皆の架け橋になれる事。世界の皆と出会える事。大変な事は自分の時間を作る事。自分自身のアイデンティティに戸惑う事。趣味はサーフイン、サッカー、ジャンベ、音楽等。メッセージは「Live it up!」自分の夢をかなえる。ポジティブに元気よく。確かに彼はこの通りに生きた人だった!。

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 彼の仕事である語学教育のマネージメントは教材がしっかりしていた。レクチャーでは多くの場面でアメリカは分が悪かった。その辺をアンデンティティに戸惑うと表現していた。その他船内企画の随所でリーダーシップをとり、皆を引き込んでいた。クジラ、イルカのウオッチング。語学クラスの小運動会や全体参加の大運動会での大活躍。スポーツデッキで熱中していたサッカー。ジムでのトレーニングやボクササイズへの参加など。

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 何と言っても一番印象に残るのはジャンベを叩いているときの幸せそうな顔であった。心からアフリカの音楽を愛していた。最初にその恰好を見たのはGETの先生の紹介の時であった。ステージ上で彼がジャンベを股間に挟んで打ち鳴らし、20名近い先生方がマラカスを手に手に出て来た時だ。先生方は壇上でひとしきり踊ったり、おどけたりして降りていった。乗船間もない時期だったので会場が盛り上がり、一段と打ち解けあったのは言うまでもない。

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 その後も各寄港地を出航する際、船上から色とりどりのテープが投げられ下船する講師や関係者と別れを告げたのだが,その際も流れるテーマソングに載せて幸せそうにジャンベを打ち鳴らしていたkumarの姿が、テーマソングと共に思い出される。

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2 コメント

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素晴らしいクマー青年の死を悲しみ、そして暴力へ... (天秤座の女)
2006-04-16 23:30:10
素晴らしいクマー青年の死を悲しみ、そして暴力への憤りを新たにしております。国家の暴力も延々と続きます。ああ、世の中の全ての銃を熔かしてしまえないものか。
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冷え冷えとした日和の日々で今年の桜も長らく愛で... (ねったぼ)
2006-04-17 09:47:49
冷え冷えとした日和の日々で今年の桜も長らく愛でられました。見上げる桜、舞い落ちる桜、事あるごとにkumarが偲ばれる春でした。船旅自体は大いに楽しんだのですが地域によっては余りの落差に心が痛んだ事も事実でした。どの国も観光客誘致に力を入れていますから、旅行はその国の発展の一助にはなっているのだと自分を納得させつつ、それでも格差を大きくしている大きな要因は日本にもある事を知るとき、居心地の悪い、申し訳のないような思いのし通しだったような気もしました。日本がアジア、南洋諸島に抱く負い目に似たそんな思い。kumarも同じような気分を抱えながらboatに居たのではなかったかと・・。
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