混雑を避けて夕食は2組に分けられていた。夕食の前後の6~7時ごろはタイムスケジュールが緩やかなので、デッキでユックリ沈みゆく太陽を眺めたり、生演奏を楽しんだりしていた。
10時近くまで続くレクチャーもしばしばあった。若者の時間は0時を超えて25~28時なんてのもあった。多くは話し合いの延長、飲み会やダンス、近づいてきた行事の準備、馬鹿騒ぎまで。夜型の若者たちは午後からが勝負の感があった。
面白かったのはオジ様方の動向。レクチャー、映画、PCを使った写真の整理、囲碁やマージャンに参加しないとなれば、自分の部屋でテレビをみるか、デッキで過ごすか飲みに行くしかない。船内にはバーが3つ、居酒屋が1つあった。居酒屋はバイキング形式の食堂が20時以降切り替わるので、この時間帯以降は日本人の店長以下ほぼ全員が日本人の従業員になる。内容は全く日本の居酒屋と同じでもちろん食事も注文できる。
ただしこの居酒屋に限っては海洋には面しているが、ガラス越しに廊下を通る若いお嬢さんを呼び込める作りにはなっていない。従って前もって約束を取り付けて同伴するか、入ってきたところで呼び寄せるか、帰ろうとするところをモット飲もうよと誘うことになる。
洋食が続いたときなど、焼き魚定食やあげ豆腐などが食べたくなる。そんなときには居酒屋に来ることになり、何度か私達も顔をだした。たまに最初から時には途中から殿方に声をかけて頂いたりもした。一度同席すると限られた空間の長旅ゆえにか妙に親しみを覚えたりする。いわゆる同窓会の気分に近い。
そんな時若いお嬢さん方と一緒になることがある。自分の娘ぐらいかウンと若いお嬢さんたち。同感するときもあれば世代の違いにドキッとすることもある。彼女らは会話はポンポン弾み、屈託がなく確かに楽しい。割り切っている。若い子ほどそうだ。オジサン達はそれが楽しいらしい。オバサン達は身なりや、遠慮のなさなどどうしても違和感を覚えてしまうことがある。「長居は無用」 と席を立つことになる。それを潮時にお嬢さんたちも席を立つ。彼女らも結構忙しいのだ。タダ酒を飲んで、タダ飯を食べたらそういつまでもオジサン方のご機嫌をとっておられない。だからオジサン達の本音のところでは年相応の我々オバサン達にも席を立ってほしくなさそうなのだ。両方からオ・イ・テ・ケボ・リをくったオジサマ方の顔は・・・・また誰か来ないかナ~。年相応でもイインダケド~である。写真はお酒をいただきながら見る出航時のチリのパルパライソ港。
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