1日目の夜は引率してくれた若者達と「カラオケ」を楽しんだ。彼らのカラオケは日本語で、とりわけ2人の青年の熱唱は目を見張るばかり。現地であった(日本の)のど自慢でいい結果だったと聞いた。その後グループ討議では1,2世の苦労話や自分達の夢を語ってくれた。(学校の境界のフェンスに日本の風景画)
2日目は日秘新聞社を訪ね歴史を聞いた。新聞は8面構成で1~2面は日本語だが3~8面はスペイン語になっていた。その新聞社は小じんまりしており、印刷機、裁断機など「武富士」社長の寄贈と聞かされた。Boat入港も写真入で一面に大きく紹介されていた。見学後数人にコメントを求めていたけれど後日紙面に載せると言っていた。(印刷機とその奥に裁断機も)
次が資料館見学で移民開始以来の歴史、開拓に使った器具、日用用品などが展示され当時の苦労の一端が偲ばれた。隣の大通りに面した5~6階建ての建物は「日秘文化会館」で1~2階だけでもホール、会議室、展示室、売店、食堂、料理教室、老人のデイケアー、リハビリ、談話室など多目的に使われていた。これがなんと「武井文化会館」とも呼ばれ、丸ごと「武富士」初代会長武井保雄氏の寄贈なのだという。武井は当地ではまるで神様級。彼を称える歌まであった。なんでも本人がかって移民をめざした事があった?らしい。(前日訪れた知的障害児、者の皆さんと職員達。パラリンピックに参加した嬉しい報告の一方、学校の方も同様であったが人材不足を嘆いていた)
デイケアーには2世のご老人達と、彼らを世話するその後の世代の方々がいて私も太極拳と歌唱に加わった。唄ったり、手芸、太極拳、リハビリ、ゲートボールを楽しみながら日本語で談笑されていた。恐らく2世までは日本語でのコミニュケーションは問題ないとしても、3世になるとポルトガル語が主流ではなかろうか?会館に集いかって同じような苦労をし、郷愁を共にする人々との語らいは、私達の様に長年日本に住み着き、退職後の今後をどう楽しもうかと思案している私達の想像を遥かに超えて、心和ませるものだろう。(ここに参加できる人達はまだ元気な方で、通所できない方々はもっと多いかも知れない)
どなたも穏やかな顔ながら、その顔や手は深い皺が刻まれかっての労働を偲ばせた。「今、孫達が日本に出稼ぎに行っている。一度でいいから故郷に帰ってみたいがそれも叶わない」と淋しげに微笑まれた。 その後日本語で書かれた手作りの歌集が配られ、皆さんと一緒に歌った。仲間の1人がハーモニカを吹きだすと、この曲、あの曲とリクエストが多く歌声も大きくなった。私も今の年齢になって歌う唱歌は、意味も解らず歌っていた頃に比べいずれ劣らずしみじみとするのだが、異郷の地で郷愁募る方々と歌っていると、途中から涙が溢れ出し唄えなくなった。(鏡の前で。グループの円陣は鏡に反映。太極拳は指導員の動きに習う)
ねったぼさん、お元気になられましたか。ご無理は禁物ですよ。