高名な女性二人はともに1952年生まれだった。浜矩子さんは「アホノミクス」を言い出したエコノミストであり、「荒れ野で叫ぶ声」でありたいと、振る舞ってきた。特技は「多品種・大量」の飲酒という。浜さんの著作をひらいたことはなく、新聞記事や週刊金曜日のリレー連載「経済私考」を読むぐらいだ。
親の子に対する助言の大切さを感じる。母の京子(たかこ)さんは国際人権団体アムネスティ・インターナショナルや障碍者施設などでボランティア活動をしてきた方である。「希望を捨てずにいると、思いは天に届く。絶望的な状況も必ず変わり変えられる」というカトリックである母の言葉が「叫ぶ声でありたい」という志を支えていると言う。
田中優子さんの毎日新聞夕刊のコラム「江戸から見ると」は切り抜いて読んでいる。丸谷才一氏が「田中優子さんの随筆がなぜいいかというと、たぶん若いときに石川淳をしっかり読んでいるからでしょうね」とどこかで書いていた。丸谷と石川について知らないのでこれは私には謎の言葉である。女性初の法政大学総長。週刊金曜日編集委員。
法政大学3年で江戸文学に出会う。文学では食えない。悶々としていると父の旭(あきら)さんに言われた。「どんな生き方をしてもいい。魅せられたことを手放してはいけない。好きなこと、どうしてもやりたいことの、近くにいることを大切にしなさい」研究者の卵が抱える悩みは当時も今も変わらない。大学院生に父からの言葉を伝え続ける。
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