キューバといえばカストロ議長。カストロと共に連想されるのはかっての同士「チェ・ゲバラ」であろう。「チェ」は相手に呼びかける渾名であるらしく、それ程民衆と共にいた事を示していよう。(目隠しで3回転し一つ星印をつけるゲーム:リーブシーの誕生会で)
そう遠くない日「モーターサイクル・ダイアリーズ」の映画を自宅のTVで見た。医学生ゲバラが友人とバイクの2人乗りで南米を放浪する旅だった。裕福な家庭に育ったゲバラは、この放浪生活で見聞を広める内にマルクス主義革命を志すようになっていった。(ゲバラの顔写真のTシャツを着るベルギーの人情家デリクと、私の担任である英国人リーブシー=彼はビーガンで後述予定)
1953年、6年を要する学部を3年で卒業したものの、メキシコに渡ったゲバラは亡命中であったカストロと同一行動をとることを決めた。1959年紆余曲折の末、キューバ革命は勝利した。(軍に関する記念日に当たっていて、海岸から海に花束を投入)
政治家となったゲバラの活躍は目覚しく工業大臣として訪日もし、日本の労働者の勤勉さに感服したとの記録も残されていた。政権下にあって威力を発揮しつつも、秘かに酸素吸入を続けながら、自らに農作業を課すという姿勢は変わらなかった。(街全体が世界遺産。スペインの植民地時代に造られた建造物や旧式の車を大事に使っていた)
政権の座についたカストロは、現実的な路線を踏まざるを得ず、革命家を志すゲバラとは次第に距離ができていった。ゲバラは再び革命の指導者としてコンゴ、南米ボリビアと渡り、1967年遂に米CIAより訓練を受けた兵により狙撃され39歳で没した。 「少佐の階級章一つ星をつけたベレー帽を被るゲバラ」は観光産業の目玉として利用されているが、私にはカストロ以上にキューバを象徴していると思える。(ゲバラを偲ぶ石碑と広場前で国旗と共に掲げられている壁像)