西武線東村山駅の東口に、2020年に亡くなった志村けん(本名志村康徳)の銅像がある。志村けんは東村山市で生まれた。父親は小学校教諭で、2人の兄は大学を卒業して公務員になったが、自身は大学へ行かず異なる道を歩む。8時だよ全員集合の少年少女合唱隊のコーナーで歌った「東村山音頭」がヒットする。
振り返るとクレージーキャッツの植木等の「スーダラ節」が1962年で、テレビの全員集合が終了した後の志村けんの「バカ殿様」は1986年である。二人は四半世紀ズレて活躍した。だが笑いの質は大きく違う。バカ殿で共演していた東八郎に「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのでしょうか」と質問している。
父・憲司が厳格な人物で家庭に笑いがなかったという。父とはかなりの葛藤があったと思われるが、芸名の「けん」は父親の名前からとった。高校卒業間際に「いかりや長介」の家に直接押しかけ弟子入りを志願する。その頃父は交通事故の後遺症でボケており弟子入りに関して両親の反対はなかったという。
我が家から、自転車で府中街道を北上すると30分で志村けんの銅像のある東村山駅の東口に着く。和服正装の志村けんがアイーンのポーズをしている。黒光りしていて、近づかなければその表情は分からない。バカ殿のメークは銅像では表現不可能だ。志村けんらしくないけれど、関係者がいろいろ悩んだ末のことだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます