玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*紫式部と清少納言②

2024年06月06日 | 捨て猫の独り言

 引用を続けよう。※源氏物語の「手習」の巻の碁の場面は、ただ美しいというだけではない。もっと深い人生の哀感を漂わせているからである。登場するのは浮舟という不幸な女性である。投身自殺を企てるが、死にきれないで岸に打ち上げられているところを、僧侶にたすけられて、僧侶の母の尼僧とその妹のところにあずけられる。その老尼が彼女を慰めようとして碁に誘う。

 ※浮舟も「いと、怪しうこそありしか」と一旦は言う。しかし「打とう」という気持ちになって打ち出すのである。打ち始めてみると浮舟は意外に強くて、老尼は浮舟に先を打たせたが自分より上手なので、手直しして自分が先を持って打ったとある。そんな境遇にいても、一旦碁を打ちだすと、集中して何もかも忘れてなかなかの打ち手と自信のある老尼さえ負かしてしまうのが碁の効用なのである。

 ※不幸な女性を慰めるのに碁をもってくるというところに注目したい。おそらく紫式部もまた人生の中で、このように碁によって慰められたという経験があったのではなかろうか。彼女の人生もまた必ずしも幸せが多かったとは言えないものであったらしい。結婚した男性とは死別している。彼女が碁を打つのは女性同士で打つことが圧倒的に多かったと思われる。男性と派手に碁を打っていた清少納言とは対照的に碁は紫式部にとって、むしろ傷心を慰めるものとして、女性同士でひっそりと楽しむものとして存在いていたのではないかと想像される。

 ※「空蝉」の巻にも碁を打っている情景に続いて碁の内容の描写が出てくる。描写はたいへん具体的で高度な内容をもっている。少々はったりくさい感じがしないでもない清少納言とは違って、本格的という感じがする。私は棋力ははっきりと紫式部の方が上だったと思う。彼女の性格は内向的で慎重であったらしいから、棋風もどっしりとして本格的、おどらない棋風でポカも少なく、悪く言うとネチネチした碁であったろうと想像される。(了)

コメント
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