玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*紫式部と清少納言①

2024年06月03日 | 捨て猫の独り言

 大河ドラマ「光る君へ」を楽しみに見ている。天皇の外戚となった藤原一族が、天皇の幼少期には摂政、成長期には関白の地位について朝廷の政治を支配していた摂関時代(平安中期)を舞台に、紫式部(まひろ)と清少納言(ききょう)が登場する。20年前に出版された文春新書に「囲碁心理の謎を解く」があり、その第三章は「囲碁好きの式部と少納言」という興味深い本があった。著者は日本ユング研究会会長の林道義(1937年生まれ)。

 清少納言と紫式部が囲碁を打てた、しかもかなりの腕前であったことを知る人は少ない。それは教科書などから囲碁の場面が削られているからと思われる。そこでアマ6段の著者が枕草子と源氏物語の囲碁の出てくる文章を分析して彼女らの棋風から棋力までを推理した。以下※はその林道義著作からの引用である。

 ※彼女たちの時代は、貴族にかぎってであるとはいえ、才能を持った女性が大量に活躍の場を与えられた珍しい時代である。一条天皇のもとでは二人の皇后という珍しい制度が生れ、一方の定子(道隆のむすめ)のもとには清少納言が、他方の彰子(道長のむすめ)のもとには紫式部が仕えた。どちらの後宮も華やかな文化的サロンとして機能し、男性の貴族も出入りして才能が花開き、ロマンスも生まれた。そんな中で囲碁もまた一役かって、多くの女性の碁打ちが生れ、碁もまた文化としての花を咲かせることができた。

 ※枕草子に「相手の石が死んでいるのに上手ぶって置いたら、それが間違っていて相手の石が生きて、自分の石は死んでみな拾いとられたときの気持ちといったら・・・」とある。つまりカッコよい手を知っていて、その真似をしたというのであるからある程度水準が高くないと書けない文章である。どうも彼女は、大石同士が、攻め合いになって取ったり取られたりというような碁をしょつちゅう打っていたのではなかろうか。乱戦大好き、陽気で才気煥発、負けん気の強い性格が目に浮かぶようである。彼女は若い優秀な貴族たちと対等に碁を打てたということをたいへん誇りに思っていたようだ。

コメント
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