故郷の鹿児島に99歳を超えた母親がいる。3年前からは施設暮らしをやめて、長女(私の妹)と自宅での暮らしを始めた。ちょうど全世界がコロナに突入した頃だった。とっくに子育ての終わっている長女が単身千葉から鹿児島に来て親子二人の生活が始まった。
そんな二人のもとへ長男である私は3年ぶりに4泊5日で帰省した。行きも帰りも早い便の飛行機を予約した。ずいぶんの無沙汰である。母はだいぶ弱っていると聞いていた。惜しいかな鹿児島の天候は滞在予定のすべての日が降水確率90%の予報だった。
妹は60歳を過ぎて介護福祉士と社会福祉士の資格を取得した。週の3日は母親をデイケアに送り出したあと、自分は別の介護施設で働いている。仏壇へのお茶やり、ついでに声出しして10回つま先立ち、日にちと曜日の確認、薬の取り出しなどが妹の指示のもとに行われる。
彼女の献身で明らかに母の寿命は延びた。母は室内の移動は手押し車を使うが、夜中にはそれを使って自分でトイレに行く。久しぶりに私の顔を見て、終戦間際の阿久根での疎開生活のことを毎晩繰り返し話した。昼間は寝ていることが多い。「凡事徹底平常心」今回妹が私に教えてくれた。