山下小学校の校庭が真下に見下ろせるビルの14階に母は住んでいる。そこから30分もあれば城山の展望台広場まで行ける。今回は連日の悪天候で広場の朝のラジオ体操会に参加することができなかった。桜島フェリーとこの二つのことは悔やまれる。
2日目の朝に薩摩藩主島津氏の菩提寺だった曹洞宗の大寺「福昌寺」に出かけた。傘を持参して徒歩である。途中福昌寺への道を聞いたが青年は知らないという。玉龍高校はどこか聞くべきだったとすぐ気づいた。明治の廃仏毀釈によって寺は破壊され宝物は失われたという。
市立玉龍高校は校庭の石段を上がったところに校舎が建てられている。この石段はかつての福昌寺の石段だったはずである。その校舎の裏手に福昌寺の境内がかろうじて残されていた。その横の坂道を登ると、歴代住職の墓さらにその先にキリシタン墓地があった。
福昌寺の日の午後は猛烈な雨に見舞われた。そして夕刻には雨が止むという不順な天候のくりかえしだ。鹿児島市内には弟と妹の家族が住んでいて帰鹿のたびにお世話になる。3日目は雨の中を弟の車で昨年亡くなった叔父宅を母と共に訪問することができた。しかし滞在中に桜島の雄姿を一度も見ることができなかったのはこれが初めてだった。(完)