念のため「麓」をネットで調べてみた。平野と山・丘陵・高地との間の移行地帯とあるだけだ。そこで「薩摩藩の麓」で検索して薩摩藩独自の「外城(とじょう)制度」と分かった。文化庁が認定する「日本遺産」というのがあり、これまでに「木曽路はすべて山の中」「陽が沈む聖地出雲」「津和野今昔」などが日本遺産となっている。
鹿児島では2019年(令和元年)に「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く」が「日本遺産」に認定されたという。今回の帰省で県が発行した30頁もある分厚いパンフレットを手にした。鹿児島城(鶴丸城)跡と喜入旧、知覧、加世田、入来、里、手打、出水、串木野、蒲生、垂水、志布志の11の麓が見事なカラー写真で紹介されている。
そのパンフは「麓」についてつぎのように述べている。「薩摩藩は他藩に比べて武士の人数が多く藩の4分の1が武士でした。そのため本城である鹿児島城の近くに全ての武士を住まわせるのではなく、領地の中を小さく分け、武士を分散させて住まわせる独自の体制(外城制度)がとられていました。関ヶ原の戦いに敗れた薩摩藩は幕府や他藩への警戒心が強くなりました」
知覧麓は有名だが、里麓と手打麓は鹿児島県人でも知る人は少ないだろう。どちらも甑島にある。本土の麓が道路を行き来する人々を監視するのに対し、甑島の麓は海路を行き来する人々が監視対象だった。海上交通の要衝、甑島の北の防衛拠点が里麓で南が手打麓である。上甑島の里麓は私も訪れたことがある。トンボロ(陸繋砂州)という独特の地形の上にある。カノコユリが咲いていた。