飲酒しない日はないが、読書しない日が続いた。すぐに目が疲れてしまうのが主な原因だ。しかし眼で活字を追わないことにもそろそろ飽きてきた。凡人には何事か一つのことに集中して、それを持続することなどできないものだ。(6月になるとハギが咲いた)
私の読書傾向は、これまで随筆や評論の類が多かった。それにもまた飽きたので読むなら物語(小説)にしようと考えた。それも長編でなく短編か中編がよい。私の歳に相応しいテーマで、あまりにも知られているのにいまだ読んだことのなかった川端康成の「眠れる美女」と谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」を読むことにした。
エログロナンセンスをデカダンにまで昇華させたいう文豪の技とはこういうものかと感心する。川端は一休禅師の「仏界は入り易く、魔界は入り難し」の言葉をよく揮毫したという。「眠れる美女」も美女に導かれての魔界巡りといったところか。
「瘋癲老人日記」はカナ書き日記体でやや読みずらい。77歳になる督助は息子の嫁の颯子(さつこ)の足の拓本をつくり、それを仏足石にかたどって墓石にし、その下に骨として眠ろうと計画し実行する。ついでに随筆の「陰翳礼賛」を読んだ。暗がりの中に美を求める傾向が東洋人にのみ強いのはなぜであろうかと問うていた。