「個人的心理なんていうものはないんです。存在するのは社会心理だけなんです。この同じ考えを持っているのは私のほかに岸田秀さんぐらいです」という養老孟子(1937年生まれ)の発言がずっと気になっていた。今から40年以上前に出版されてかなり評判になったという岸田秀(1933年生まれ)の処女作「ものぐさ精神分析」を読む機会がやってきた。(公園・庭・農地のベルガモット=たいまつ草)
もっと早く読むべきだったと後悔したほどにおもしろかった。集団心理は個人心理と同じ方法論で解明できるとの立場から、日本全体をあたかも一人の精神分裂病者のごとく扱って、「日本近代を精神分析」している。分裂病質は外的自己と内的自己との分裂を特徴とする。ペリー・ショックによって開国論と尊王攘夷論に分裂、明治維新がなり、和魂洋才とは外面と内面をつかいわける分裂病質者が試みることである。
対米英宣戦布告はまさしく精神分裂病の発病である。日本の本当の戦争目的が、危うくされた自己同一性の回復という精神的なものにあったのだから精神主義は必然のなりゆきだった。アメリカの日本占領軍ほど、被占領国民の抵抗を受けず、進駐がスムースに行われた例はない。マッカーサーの占領政策でも、天皇の命令に忠実であったためではない。分裂病質に特有な態度の逆転が起こっただけのことである。
ほかの内容に「吉田松陰と日本近代」「国家論ー史的唯幻論」「性的唯幻論」「時間と空間の起源」などがある。イモズル式に私は翌年の1978年に出版された伊丹十三が岸田秀に問う形の対談本「哺育器の中の大人」を捜し出した。この中には1968年出版の吉本隆明(1924~2012)の「共同幻想論」の話も出てくる。今、読んでいるのは1995年に出た文庫版だが、なんと巻末に吉本隆明が解説を書いている。そこには「岸田秀さんの心理分析の特徴を一口にいえば、大胆で、粗っぽくて、そのかわり自分で考えて造成したあとがにじみでていることだと思う」とある。