玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*夕刊編集長

2010年11月22日 | 捨て猫の独り言

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 11月から1年ぶりに毎日新聞を購読することになった。金曜の夕刊に私が楽しみにしているコラムが掲載されている。字数は約千文字ぐらいだ。決まった曜日に5人の記者が交代で担当している。「しあわせのトンボ」と題する金曜は近藤勝重氏が担当している。メンバーが変わっても近藤氏は長年にわたり書き続けている。東京本社夕刊編集長でもある。コラムは顔写真付きだが、胸にしむ文体に似つかわしく柔和な表情の写真だと私は思う。これはと思って切り抜いていた古いコラム記事を読み返してみた。昔も今も氏のあたたかいまなざしは変っていない。

 「人生ここに」と題したコラム(06年)を次に引用してみる。『生活と人生は確かに違う。しかし生活はともかく人生とは?と考えると、ばくとしてとらえどころがない。・・・もちろん「生きていく私」は「死んでいく私」でもあろうから、生死は人生を際立たせずにはおかない。・・・中野孝次氏のガン日記(文芸春秋7月号)が心に強く残っている。医師からの電話でがんとわかった日の日記にはこうある。<座椅子に座って陽に当たっていると、椿やミカン、スダチなどの濃い緑の葉が光り、鳥が石に上に置いたミカンを啄みに来、犬達が龍のヒゲの上に気持ちよさそうにねている。すべてこともなく、よく晴れ、風もなき冬の午後にて、見ているとこれが人生だ、これでいいのだ、と静かな幸福感が湧いてくる。これ以外に何の求むるところがあろうぞ、と思う>・・・こうつづって5カ月後に人生を閉じるのだが、氏の人生観は「今ココニ」であった。死を免れられぬ以上、生きている今を楽しむ以外に人生はないという考えだ』

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 「満ち足りた晩年」と題したコラム(07年)では藤沢周平氏が登場する。『「三屋清左衛門残日録」に残された日々を生きる隠居武士、清左衛門の次のような感慨が書かれている。「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生きぬかねばならぬ」一種の死生観ながら、藤沢氏は「きいたふうなことを書かなきゃよかった」と後々までひっかかっていたようだ。僕などには心に残る言葉で、読み返して味わったものだが、それはともかく、氏自身の終章はどうだったのだろうか・・・奥さんの和子さんに、「ただただ感謝するばかりである」と記し「満ち足りた晩年を送ることが出来た。思い残すことはない。ありがとう」と結んである。・・・ぼくはこのコラムで「死は不幸か」と題して幸、不幸の答えは人生を閉じる時の心の中にのみあるのではないか、と書いたことがある』

 これらは、あの哲学エッセイの池田晶子氏のテーマとかなりの部分で重なっているように私には思える。合わせ鏡を利用するときのように、これから私は個性の違うこの二氏の言葉を相互補完的に組み合わせながら受け入れていくことになりそうだ。調べてみると近藤氏は私より一つ若い1945年生まれだ。それにラジオにも登場して時事川柳で近藤流・家元として川柳の判定者を演じている。そのラジオ番組は今では聞くこともなくなったが、聞いてた当時はコラムの近藤氏がラジオの家元であるとの認識はまるでなかった。いまだにあの顔写真と耳に残るラジオの声がしっくり重ならない。書き言葉と話し言葉はちがうものらしい。(写真は武蔵野美大生の作品・小平市中央公園にて)

コメント (1)
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