玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*歌人河野裕子さん

2010年11月01日 | 捨て猫の独り言

 新聞は半年ごと3紙のローテーションで購読している。その切り替わりにあたりこれまでの読売とこれからの毎日の2紙が31日には重なって届いた。私は新聞のすべての記事を丁寧に読むような読者ではない。気まぐれに開いた紙面に興味ある記事に偶然出会って時々読み直したりする。この日の紙面数は読売が40頁で毎日は30頁だった。広告数の違いだろう。時には新聞を切り替えて読みくらべるのはいいことだ。

 この日毎日の紙面に心が動いた記事を見出したことは幸運だった。それは歌壇・俳壇にある河野裕子さんをしのぶ会の記事である。河野さんは晩年は乳がんと闘病しこの8月に64歳で死去した。夫は細胞生物学者であり歌人でもある永田和宏である。ともに宮中歌会始の選者を務めたことがある。長男の永田淳と長女の永田紅も歌人である。

 しのぶ会では河野さんとともに宮中歌会始の選者を務めた岡井隆さんが、河野さんを悼む声の広がりについて皇后陛下が「一種の社会現象ではないか」と話したエピソードを披露とある。皇后陛下は87年に俵万智さんの歌集「サラダ記念日」が巻き起こした現象を思い起こしていたのだろうか。岡井氏は言う「河野さんの場合は長い間の積み重ねのうえで、彼女の存在と作品がひき起こした」

 永田和宏さんは自宅の病床で亡くなる前日まで口述筆記で歌を作り続けた河野さんの姿を語り、声を詰まらせたという。最後の一首は   「手をのべて あなたとあなたに  触れたきに 息が足りない この世の息が」   だったという。私はふと言葉が空から舞い降りて来るとはこのことかもしれないと思った。

コメント
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