玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*北陸から山陰へ

2010年09月14日 | 捨て猫の独り言

 今回は北陸から山陰へと5日かけて鹿児島に辿り着いた。この旅の最終日つまり5日目は夏の青春18きっぷの期限最後の日でもあった。金券ショップで青春18きっぷが流通していることを初めて知りそのルートで購入してみた。例えば金券ショップにはスタンプが2回押された使いかけのキップなどがある。このキップは残りが3回分のキップである。自分に都合のよい回数分のキップがあるとは限らない。値段も単純計算では1回分が2300円であるが金券ショップでは1回分の値段がこれより高かったり安かったりする。結局私はこの夏7回分の旅をした。

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 1日目の宿泊地は富山駅、2日目は城崎温泉駅、3日目と4日目は東萩駅となった。駅そばのホテルに宿泊し、昼間はほとんど列車の中の旅である。その土地を見学するには連泊する必要がある。今回はそれが萩市だった。富山駅は5年後の北陸新幹線開業を目指した整備が進行中だ。富山駅北から神通川沿いにある富山港の岩瀬浜まで新交通システムで往復した。夕闇が迫り岩瀬浜の散策は断念すせざるをえなかった。普通列車の旅の宿命である。2日目に私は昼ごろ敦賀駅を通過して小浜線で夕方6時前に城崎温泉に到着した。一方台風9号は翌日昼前に敦賀に上陸した。城崎温泉の宿で台風をやり過ごしたことになる。温泉街では区域内で観光客が自由に使うことができる雨傘がある。翌朝その傘で私は城崎温泉駅まで行き台風とは逆方向の西に向かった。

 数は少ないが「山陰線の複線化」のスローガンを見かけた。台風の影響で雲は厚く垂れこめ、岸辺には白い波頭が幾重にも押し寄せていた。米子駅から松江駅間で年配の女性が声をかけてきた。旅をしているといろいろな人と語り合えるでしょうと仰る。いえ話しかけてくれたのは貴女だけですと笑って答えた。神戸で看護師をしていたが退職し故郷に家を新しく建て、妹と二人の生活を始めたばかりだという。その妹が癌で入院し見舞いに行くところという。列車の冷房のせいか喉の調子がおかしい。喉飴いかがですかというのが話のきっかけだった。阪神タイガーズの試合が米子球場でもあることや、イチロー、松井秀喜などの話になった。

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 貸自転車で萩の街を回った。台風一過の強い陽射しが肌を射す。関ヶ原の役に敗れた毛利輝元が築いた城下町である。その毛利家の菩提寺の東光寺では約500基の石灯籠に圧倒された。菩提寺は川をはさんで萩に二つ存在している。どちらも禅宗だが黄檗宗の東光寺は奇数代、臨済宗の大照院は偶数代の藩主が祀られているのが興味深い。かつて坂本龍馬は土佐勤王党首領武市半平太の手紙を久坂玄瑞(げんずい)に届けるために萩を訪ねて9日間滞在している。吉田松陰死後3年位の頃だ。たまたま薩摩藩士も久坂宛の書簡を持って萩に来ており、久坂を中心とした薩長土の三人が日本の将来について語り合ったという。その2ヵ月後に龍馬は突然土佐を脱藩している。薩長連合の成立はさらにその4年後である。東萩駅の観光案内所の女性は松陰の「大和魂」とは「無私の精神」だと私に力説した。

 

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ご機嫌に秋を迎えよう

2010年09月14日 | ねったぼのつぶやき

 あと10日もすると彼岸に入る。その頃になるとイキナリといっても言い程にクッキと茎を立ち上げ華やかに林立する彼岸花。例年時をまがうことなく決まってそうなのだが猛暑の今年も大丈夫だろうか。今のところ未だその兆しはない。

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 春先15年ぶりに家の外装をやっと終えたせいもあって、庭木まで手が回らず芝生と生垣を刈り込んだ位で水やり以外は殆ど手を掛けなかった。繁茂する庭木も、枯れ気味の鉢植えもミニ菜園も手入れと雨を渇望しているように見える。幼子達の長滞在で蚊との格闘に明け暮れたのもこれらの放置状態と無関係ではなかったろう。

 そろそろ段取りをつけておこう。紅かなめに這わせ手の届かない高さに育った「なた豆」や、沖縄出身の知人から頂いた「雲南百薬」ー葉をむしり採り湯がいて食するとヌメリがあって美味ーをもっと下に這わせよう。庭木を詰めて、芝生を刈り、雑草を抜いて、鉢植えを手入れして、ミニ菜園に菜っ葉の種を播き、味噌漬け野菜の下準備もしなくちゃ。ついでに車を洗い、窓ガラスを拭いたら部屋からも秋空が一層高く広く美しく見えるだろう。みこしを上げなくちゃ。写真の「雲南百薬」につては次回に。

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