玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*北への旅③

2009年08月22日 | 捨て猫の独り言

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 礼文の岸壁で不思議な光景を目撃しました。人目をひくほどに気持ちが高揚した若者集団がいて、岸壁で出迎えと見送りの儀式が盛大に行われています。ところが出迎え時と見送り時の顔ぶれが異なるのです。私は出港した船の中で、岸壁の見送りに呼応していた男女数人に聞きました。それによると礼文には港と反対側に桃岩荘という夏だけの宿があってそこで知り合った者同士が順次出迎えと見送りを繰り返すのだそうです。桃岩荘という場所では何かの作用によりこの不思議な連鎖に誰でも例外なく巻き込まれるのだそうです。これは奄美の与論島などでも見られる現象だと相棒は言います。

 稚内駅から路線バスで宗谷岬までは往復2430円で片道50分かかります。北緯45度の日本最北端の岬です。トロントやミラノとほぼ同じ緯度です。ここで夕暮れ前の2時間をのんびり過ごしました。稚内市民もわざわざ岬まで食べに出かけるというラーメン店があるという情報を得ていました。。それを目指してバスを降りるとすぐに岬と反対側の宗谷丘陵の高台に登りました。そこは宗谷岬公園として整備されていて、この日はたまたま芝刈り後のすがすがしい草の香りがあたり一面に立ち込めていました。その高台の見晴らし一番の場所に 「元祖帆立ラーメン間宮堂」 はありました。店のカウンター越しにオホーツク海を眺めながら食べた塩味の帆立ラーメンを忘れることはできません。海に突き出た突端には日本最北端の碑が立ち写真撮影の順番待ちの列ができます。また近づくとセンサーにより 「宗谷岬」 が流れる歌碑もあります。ダ・カーポでなく千葉紘子による歌唱の 「宗谷岬」 が繰り返し流れていました。

 小樽駅すぐの 「灯りの湯・ドーミーイン小樽」 に5時にチェックインして汗を流したあと、黄昏の小樽運河の散策です。運河近くでは人力車も行き交い、中国からの観光客も目立ち、賑わっていました。翌朝5時には目覚めて人影少ない運河を再び散歩したのでした。小樽で相棒と別れ午前10時半の新日本海フェリーに乗船しました。20時間かけて翌日の午前6時に新潟港に到着です。この夏は初めて大阪~別府、宮崎~大阪、小樽~新潟の長距離フェリーを立て続けに経験することになりました。全長200mの 「らいらっく」 号の航海では2時間後に左に積丹岬、6時間後に右に奥尻島を確認することができました。ロビーでは現在の船の位置が刻々表示されます。本日の日没18:41、明日の日出04:55の掲示もありました。

 新潟港から新潟駅への交通手段の事前調査を怠っていました。駅へ行くためのバス停までかなりの距離があるのは想定外でした。早朝に港から歩き始めたのはたしか男3人しかいません。そのうちの一人、ボストンバッグと紙袋の関西弁の30代半ばの男性と道連れになりおおいに助かりました。彼は船中の地図で港から駅までを確認したといい、歩きながらの状況判断や決断力に優れていました。彼がいなければ私は道に迷っていたでしょう。結局バスに乗らず40分ほど歩き通しました。別れ際に彼が札幌競馬から新潟競馬への移動中であることを知りました。新潟を早い列車で出たので、つぎの長岡で90分の時間ができました。長岡駅前の大手通りを歩くと米百俵の碑があり、駅構内には良寛像があります。案内所で目にした 「山本五十六の覚悟」 という記念展のビラにある 「此身滅すべし 此志奪ふ可からず」 という文字には心が動きました。(完)

コメント (1)
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