玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

率直に語る

2005年09月20日 | 捨て猫の独り言
 結婚にはいいこともある。それまで全く違う家族の中で育った男女が無意識あるいは自覚的に新しい家族を創る。互いの価値観(家風)の違いに気づく。目からうろこ、または世界が広がることが多い。いわば異文化交流である。私の場合のそれはさしずめ、家族は率直に語り合うこと、つまらぬ見栄は捨てて生きることとなるのだろうか。まだ不充分ながら私の中の古いものは修正され新しい家族に生かされたと思いたい。

 皆さんは両親からどのように呼ばれていますかあるいはいましたか。私の親は私を私の子供の前で呼び捨てです。これにはいささか抵抗を感じます。今更やめてくれとは言いません。そこで私は現在、内輪の集まりでないときは自分のきょうだいには「さん」をつける。また孫の前では自分の子供を呼び捨てにしないように気をつけている。子供は親の所有物でなく、独立した人格で古いものから早く抜け出てほしいと思うからだ。ねったぼさんが長期旅行に出て、監視(?)のため両親が上京した。88歳の実直な父からつぎのような戦時中の率直な話を聞くことができた。

 特攻で自分が出撃するべきかどうか伺いをたてたところ次級者にと命令が下った。当時父の立場にある者の戦死が続いたせいではないかという。

 ノモンハンの草原で墜ちた友軍機の近くに降りて、戦友を後部座席に乗せて生還するという武勇伝があった。似た状況が揚子江の中州で起きたとき、父の部下は果敢に舞い降りたが湿地で離陸できずに捕虜となり戦後に復員した。

 特攻機の発進を3度も失敗させた父の部下が父に連絡のないまま軍法会議にかけられた。その裁判の結果についていまだに知らされていない。

 沖縄戦で出撃した機が尖閣諸島あたりに不時着を試みるのもあったという。当然のことながら特攻にもさまざまな生き方死に方があったのである。

コメント (2)
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