あられの日記

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デリーの大気汚染は北京より酷い

2016年02月29日 09時36分12秒 | インド旅行記
1月下旬、旅先を絞り込んだのは北インドとカンボジアでした。
そして見つけてしまった!デリーの大気汚染は北京より酷い!なんだって~??
デリーのPM2.5の濃度は、あの北京より高い!のです。
それは…。タージマハル愛なダンナに「それでもインドへ行きたいか?」と確認したら「タージマハルは死ぬまでにど~しても見たいんじゃ!」と譲らない。
そんな事前情報があったので、花粉マスク持参です。ええ、メガネが曇らないタイプの優れものマスクですわ。

さて、成田を飛び立ったエア・インディアは、所要時間9時間半。(日本との時差はマイナス3時間半)。午後7時50分にインドラ・ガンデイ空港に到着です。デリーの日没は午後6時過ぎ。スーツケースを受取り空港の外へ出たのは既に夜の7時20分でした。既に辺りは暗く、大気汚染が噂通りの酷さかどうか分かりません。何はともあれ到着日はバスで移動し、デリー郊外のグルカオンの街のホテルで一泊。開けて2日目、いよいよインドの観光が始まりました。ホテル出発は朝の7時半。グルカオンの街はデリーからあまり離れてません。しかし早く出る訳はグルカオンからニューデリーへの道の渋滞を懸念しての事でした。幸い旅の2日目の2月14日は日曜日でして、添乗員とガイドさんが懸念したような大渋滞になる事もなく、バスは30分程で目的地のニューデリーぼ南郊外15キロにあるクトゥブ・ミナールに到着しました。
「皆さんは運がいいです。平日だと宿泊ホテルからここまで2時間かかった事もありますから」
添乗員さんは嬉しそうに力説されてましたが、実際のデリーの渋滞にまだ会ってない観光客は暢気なものです。懸念した程視界が悪い訳でもなく、世界遺産クトゥブ・ミナールの観光を楽しめました。遺跡の敷地には多くの鳥も鳴き合っていて、2月だというのに花を咲かしてる植物もありテンションが上がります。
この後、デリー市内へバスは進み、ムガール帝国2代皇帝のお墓のフマユーン廟を見学。バスの車窓からインド門を眺めつつランチのレストランへ。ここまで極めて順調でした。ええ、ランチの途中で停電が起きるまでは…。停電の話は『インドは停電が多い』の記事に書いてあるので省略して、ランチ後はデリー名物の渋滞の洗礼を受ける事に。
それでもデリー在住のガイドさんは「今日は日曜だからこの程度の渋滞は大したことない」と言いますがね。日本と違って、間断なく鳴らされるクラクションが静かな道が普通の日本人にはダメージが大きいのですよ。
特にランチの途中で発生した停電は、車のスムーズな運行をさばいている信号機も止めてしまい、警官が手信号で車をさばいてるものだから…。
さて、インド政府もデリー&ニューデリー(公共施設や公務員の住む街で家賃が高いので高級取りが住む場所)の渋滞解消にあの手この手を繰り出してます。
国で3番目に大きい都市・デリーの渋滞解消の為に
その1)車のガソリン代を高く設定している。デリーのガソリン代は2016年2月現在、1リットル辺り140円ちなみに、大都市ムンバイのガソリン代は1リットル160-180円なんだって。
車を持てるのは金持ちだけという状況になってるとか。
では庶民は?となると、公共のバスを利用するのは普通とか。赤いバスと緑のバスがあって、赤いバスは冷房つき。運賃が少し高い。
あとは、トゥクトゥク。
デリーのオートリキシャ
オートリキシャという黄色と緑色の3輪自動車のタクシーが走ってます。しかしオートリキシャも数が増えると渋滞の原因になるので、所有するにはお金を高く設定してあって、デリーのオートリキシャは1台80万円もするとか。(ちなみにヴァラナシのオートリキシャの所有代金はデリーの半額の40万円程です)
デリーのオートリキシャ。
その2)野良牛の取締り。
これも既出ですが、インドはヒンドゥー教徒が多い国。彼らは牛を大切にします。とはいえ、渋滞の多いデリーで野良牛が徘徊すると更に渋滞を助長する。なので、野良牛をしかるべき場所に届けると、報奨金が日本円で1頭につき2000円程支払われるのだとか。これでデリーから野良牛が激減してるとか。
その3)トラックは日中デリーに入ってはいけません。
物流を担う各種トラックは日没を待ち、競うそうに街に入って来ます。2月14日(日曜)はランチの後、デリーの南西260キルメートルにあるジャイプールまで高速道路を走りました。日本でなら高速道を260キロなら3時間程度で着くと思うけどさ。ジャイプールの街に入る頃にはちょうど日暮れ時。ホテルに入る頃には真っ暗でした。
そして高速道路で2・3個料金所を抜けたのですがね。最後の料金所は反対側のデリーに向う道はトラックが数珠つなぎに並んでました。ドライバーは夜の間にぶっ飛ばす算段なのでしょね。あ!既出の記事に書きましたが、電気不足の為か、インドの高速道路に街灯はありません。でもインドの高速道路に牛はいます。インドでは牛を事故死させると高額の賠償金の支払いが発生するので、牛を見たらドライバーは急速減速ですね。これでも渋滞になるんだよな~。
その4)仕事の開始・終了時刻を変え通勤通学渋滞の緩和を期待している。
確か、公共のビジネスタイムは午前10時から午後6時まで。
プライベートの会社のビジネスタイムは午前9時から午後5時まで。(ランチ午後1時から2時まで)
一時間の差が通勤渋滞の緩和を期待してるのでしょうが。
ちなみに、小学校の通学は、スクールバスを使っている学校が多いようで、黄色いバスが連なって走るのをよく見ました。

小学校は朝8時半始まりの午前11時半まで。(給食は12時までの30分間)というスケジュールです。

さて、噂に聞くデリーの渋滞ですが、実はアグラの街からデリーに移動した旅の6日目にハマってしまいました。その日は渋滞に少しでも会わないようにとアグラの街を早朝5時半に出発しました。夜明けは6時15分頃、ぼんやりと明るくなってきてこの日は空に雲がたれ込めてるのに気付きました。間もなく雨も降り始め、乾季の北インドでは珍しいなあとぼんやり車窓を眺めてました。その時進んでいたのは、アグラーデリー間に新しく出来た高速道路で、この高速道路は他の高速道路とはひと味違いまして、いわゆる日本の高速道路と同じく道が独立してます。道路沿いに牛もヤギも歩いてません。市場も交差する一般道路もありませんし、歩行者も歩いてません。この高速道路の使用料は、他の高速道路の3倍も高いそうで快適でした。ええ。その特別な高速道路の出口までは…。

高速の出口の料金所から全くバスが進まなくなってしまいまして…。道路は複数レーンがあり、慣れてる一般の車は縫う様にスルスルと進んでいきます。しかしバスは動けない。聞けばバスは一番左のレーンしか走ってはならないそうで、そのレーンは途中で合流した道から入って来た二輪車も同じく進むようでね。もう全く~~~動かないの。
さすがに旅の予定はこの後、デリー発の飛行機に乗らないとどないもならないんで客は気をもんでましたが、添乗員とガイドさんは渋滞が織り込み済みでの早朝5時半出発だったのです。午前10時半、バスは無事に飛行場に到着しました。
搭乗前に滑走路に並ぶ飛行機を撮影しようとして気付く。
「隣の飛行機は見えるけど。その奥の飛行機も見えるけど…」
そうなのです!視界がねっ。もうね。霧の中かという有様でした。これが今日の記事のトップ画像です。
始めは季節外れの朝の雨でもやってるのかな?と思ってたのですが、大気汚染によるスモッグでもやっていたのですよ。滑走路の向こうにある建物なんか見えません。
そういえば、高速道路で雨が降って来ると同時に、せっかくみがいたばかりのバスの窓ガラスが、茶色い雨で一瞬で台無しになりましたし…。デリーの道路沿いに植えられた街路樹もぱっぱかね、泥色してるのだ!やっぱり大気汚染が酷いというのは本当だったのかも?まあ今回の旅は日中にデリーの市内を見る機会は2日目の日曜の観光だけだったので、本格的な大気汚染には行き合わなかったのかもしれないね。でもこれからインドに行く方は、防塵マスクの用意を忘れないようにね。インドに日本のような安くて質のいい使い捨てマスクは売ってない模様です。
ある日の新聞より。
(2016年3月21日に画像を追加しました)

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