【長谷寺の山本勘助とセンリョウ】
大河ドラマ「天地人」で、山本勘助の生誕地を富士宮市としたことで、豊橋市の賀茂の住民から抗議がでた。NHKでは後日の放送で、賀茂説もあることを伝えた。長岡藩からみると、家老の山本帯刀左衛門家は勘助と同家であり、山本五十六がこの家を継いだと信じている。
牧野家の菩提寺になる光輝院11には牛久保古図が伝わり、古図には牛久保城8、一色城9、今川義元菩提寺の大聖寺12、光輝庵(院)11、山本勘助ゆかりの長谷寺(ちょうこくじ)14や当時の家臣団の敷地が読み取れる。
山本勘助は牛久保の隣の賀茂で生まれ、大林勘右衛門の養子になっている。光輝院の近くに大林家跡13があり、近くの長谷寺(ちょうこくじ)には遺髪を埋めた五輪塔と、彼が襟にかけていた魔利支天像が伝わっている。
近くにはセンリョウ(千両)の実が色付き始めていた。(黄色はキミノセンリョウ(黄実の千両)とコメントをいただきました)