一昨日、この記事を書きましたが、
ウクライナとガリツィアとステファン・バンデーラ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
2014年4月28日のロシア・ビヨンドの以下の記事がありました。
バンデラ主義者とは? - ロシア・ビヨンド (rbth.com)
ロシアvs西側&ウクライナの情報戦争で、顕著な違いの一つとなっているものがある。それはロシアの政府とマスメディアの観点からするところの、ウクライナの新たな政界の中心的存在「バンデラ派」と「ネオナチ」だ。ウクライナの革命政府とそれを支持する西側諸国は、ロシアの主張を「クレムリン宣伝者の嘘」とし、皮肉にあしらっている。革命に参加した「愛国的」、「親欧的」勢力を、「バンデラ派」と呼ぶことは、はたして正しいことなのだろうか。
(中略)
第二次世界大戦中、主にウクライナ西部で、ステパン・バンデラとその右腕ロマン・シュヘヴィチ率いるウクライナ蜂起軍が活動していた。これはウクライナの民族主義史でもっとも有名な部分だ。
バンデラ主義者とナチスドイツ占領軍の関係は困難なものだったが、主な敵はソ連であるという点で一致していた。この姿勢はウクライナ民族主義のすべてのイデオロギー(ウクライナ人の主な敵はあくまでもロシア人)で共通していた。バンデラ主義者の活動が活発化したのは1944~1945年と、冷戦開始によってイギリスとアメリカの特殊機関とバンデラ主義者との共同作業が整えられた戦後しばらく。
だが1950年代半ばまでに破壊活動はほぼなくなり、大多数が平和的な生活に移行することに合意した。バンデラ自身は戦後、イギリスの諜報機関の保護のもと、ドイツ・ミュンヘンに暮らしていたが、1959年にKGBのスパイであるボグダン・スタシンスキーによって、シアン化カリウム入り注射器の仕込まれた特別な銃で暗殺された。
今年4月、ロシア連邦国防省が保管する極秘文書から、当時のバンデラ主義者の活動について、より多くが明らかになった。文書には、ナチスドイツの占領勢力への後方支援や、民族浄化などの活動実態について記されている。ユダヤ人だけでなく、他の民族の代表も根絶させようとしていた。バンデラ主義者のテロは、ウクライナの民族主義のイデオロギーに反対するウクライナ人にも向けられていた。ウクライナの子どもは現在、これらの人々を民族の英雄として崇拝するよう教えられている。
(中略)
ウクライナの子どもは、極右的な視点のウクライナ史が書かれた歴史教科書で学んでいる。テレビでもウクライナの過激な民族主義的プロパガンダが流されている。ウクライナでまかれた学校・情報教育の芽は、今収穫の時期を迎え、南東部でさえも、ウクライナ化された30歳以下の若者がたくさんいる。
(後略)