「南東北ドライブ旅行記 #2-2」のつづきです。
大修理を終えた姫路城が、壁だけでなく屋根まで真っ白で、「『白鷺城』ならぬ『白すぎ城』」だと話題になったことは記憶に新しいところですが、大阪城や名古屋城の天守の屋根は青緑色をしています。
姫路城は屋根瓦一枚一枚の境目に漆喰が塗られているから屋根が白くて、大阪城や名古屋城の天守は、銅板で葺かれている(銅瓦葺き)ため、緑青(ろくしょう)の色になっています。
それでは、会津若松の鶴ヶ城天守の屋根はといいますと、、、
赤銅色をしています。
「赤瓦」で葺かれているんですな。
鶴ヶ城公式ガイドブックによれば、
(天守の)再建の基礎資料となった古写真は1872年頃ころの撮影と思われ、戊辰戦争後の荒廃した鶴ヶ城が写されていた。このため再建には古写真に補正を加えたものが資料とされ、新たに発見された情報なども部分的に加えられた。屋根瓦は他の城の天守と同じく黒瓦が用いられた。しかし鶴ヶ城が取り壊される際の屋根瓦が現存していたことから、2011年、これと同じ赤瓦に葺き改められた。
だそうで、この参考とされた赤瓦は、1874年の天守取り壊しの際に屋根瓦の払い下げを受けた市民が保管していたもので、後に市に寄贈されたのだとか。
ちょっとここで寄り道
赤瓦といえば、沖縄の建物がよく知られています(下の写真は沖縄県立博物館で野外展示されている「民家」)。
赤瓦に目地漆喰の白が印象的です。
目地漆喰といえば、前記の姫路城ですっかり有名になりましたが、熊本城の屋根にも目地漆喰が施されているというので、6年前に撮った写真を漁りますと・・・、
ありました
熊本城築城当初から残存していると考えられている宇土櫓です。
屋根全体は黒っぽくなっていますが、軒下の陽のあたらない場所では漆喰が白いままで、1989年の修理竣工時の様子が残っています。
ということは、熊本地震で甚大な被害を蒙った天守を初めとした他の建物も、復興がなれば、目地漆喰の白さで、かなり印象が変わって見えるのでしょうね…。どうか早く「その日」が来ますように
ちなみに、熊本城でも最も古い建物の一つの宇土櫓は、あの地震を耐え抜いて、現在もしっかと立っているそうです(続櫓は倒壊したようですけど…)。
話を鶴ヶ城に戻しまして、天守の中のこと、、、、なんですが、天守の中のことは当日のダイジェストで結構書いていました
付け加えるとすれば、
とりわけ、旧会津領主の一人、蒲生氏郷の「燕尾形兜(えんびなりのかぶと)」(複製。本物は岩手県立博物館所蔵)ときたら、衝撃的
と書いた「燕尾形兜」の写真(右)くらいのものかな?
所蔵する岩手県立博物館では「鯰尾兜(なまずおのかぶと)」と表記しているこの兜、なんだかダークヒーローっぽくて、よござんすなぁ
蒲生氏由来の品がどうして盛岡にあるのだろうか? と思ったら、
(盛岡藩の)初代藩主となる(南部)利直が、蒲生氏郷の養妹を妻に迎えたときに引出物として贈られました。
だそうです。
そうそう、鶴ヶ城天守(郷土博物館)の展示はダイジェストにも書いたように、すごく整理されて、見やすく、洗練されていて、ちょっとした博物館はかなわないと思ったのですが、2015年4月にリニューアルオープンしたばかりですって。
天守最上層からの眺めもいいし、お薦めですぞ
もう1枚、こちらは西側、会津盆地と越後山脈の眺めです。
そうそう、天守内の「お土産ショップ」の横には、NHK大河ドラマ「八重の桜」で使用された衣装が展示されていました。
視聴率は冴えなかったという「八重の桜」ですが、私は興味深く拝見しておりました。
戊辰戦争(会津戦争)で、会津藩の幹部や藩士たちは「ならぬことは ならぬものです」と、物量で遙かに勝る新政府軍に立ち向かったのでしょうけれど、領民にしてみれば、「さっさと降伏してくれたら良いのに」と思ったのではなかろうか…
そんなことを考えながら天守から白木が香しい走長屋を通って外に出ますと、
おぉ~、良い天気
前日、鶴ヶ城登城を断念してこの日に廻したのは正解でした
次は裏磐梯を通って、連日の喜多方を目指します。
時刻は10:20。
喜多方にはちょうど昼飯時に到着できそうです
つづき:2017/08/17 南東北ドライブ旅行記 #2-3