「上野の人出は相当なものだった (後編)」で完結できず、「最終編」に突入であります
東京国立博物館(トーハク)の本館1階15室では「歴史の記録 江戸城と寛永寺」と題して、
この展示では、江戸城と、その鬼門(東北)にあたる上野の台地に建立された寛永寺をとりあげます。頻発する火災によって江戸城は変貌し、慶応4年(1868)彰義隊の戦で伽藍の多くを焼失した寛永寺では、その跡地に上野公園がつくられました。それぞれの歴史を示す地図、図面、錦絵などの関連資料を展示します。
という展示が行われていました。
およそ河鍋暁斎の筆によるとは思えない、フツーの錦絵「東京名所之内明治十年上野公園地内国勧業博覧会開場之図」もさることながら(「暁斎筆」ということ自体が「見どころ」かも…)、
私の目を惹き付けたのは、
揚州周延「上野不忍大競馬之図」でした
この作品、こちらの記事で取り上げた同じ揚州周延の「上野不忍共同競馬会社開業式之図」と似ているのですが、明らかに違います。
「開業式」が右回り(時計回り)なのに対して、「大競馬」は東京競馬場や新潟競馬場と同じ左回り(反時計回り)です。
競馬場は、最後の直線を長くとるべく、右回りか左回りかは固定しているのが常なのですが、この上野不忍池競馬場は、どちら回りが本来のコース設定だったのでしょうか?
調べても答えが見つかりませんので、先に進みます
次の着目点は、例の「浮かびもの」です。
「開業式」では、
牛、ハチマキをしたタコ、金魚、鶴、そして「メリー・ポピンズ」こと傘を差した洋装の女性だったのですが、「大競馬」は、
落下傘、立ち雛、鶴、竿付きの日の丸、お公家さんと、、、、何だろ、、、これ?
判らんなぁ…
トーハクは「鳥獣戯画-京都・高山寺の至宝-」展と「太刀 銘三条(名物三日月宗近)」の相乗効果か、たいへん人出が多かったのですが、トーハクの正面、竹の台広場では、5月16-17日の両日にわたって「えちご 長岡・佐渡 広域観光フェア」が開催されていまして、こちらも大変賑わっていました。
私は、両日ともこのフェアを「冷やかし」したのですが、鮎の塩焼きを食べようか、牛串を食べようか迷った挙げ句、後回しにしたらタイムアウトになってしまうという痛恨の事態に陥ったのでありました(開催時間を確かめておくんだった…)。
でも、数体集まっていた「ご当地キャラ」の中に、目立って面白いキャラを発見
「ブリカツくん」だそうで、見た目の強烈さもさることながら(スカートのように見えるのはカツのコロモらしい)、その言動がかなり来てました
今後注目したいゾ
ということで、「上野の人出は相当なものだった」シリーズは完結であります。
「鳥獣戯画」関係は別立てとさせていただきますので、あしからず