新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (後編)

2020-01-20 14:47:49 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

「吉祥寺⇒渋谷と美術館をハシゴ (前編)」のつづきです。

約1年前「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」(記事はこちら)を観に行って以来、2回目渋谷区立松濤美術館の訪問、前回は渋谷駅からだらだらとした坂道(文化村通り&松濤文化村ストリート)を登って、ちょっとうんざりしたので、今回は井の頭線神泉駅から歩きました。

松濤美術館で開催されていたのは、「サラ・ベルナールの世界展」

「サラ・ベルナールの世界展」のフライヤーフライヤーから引用しますと、

フランス出身の大女優、サラ・ベルナール(1844-1923)は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて活躍しました。パリで女優として成功を収めた後は、ヨーロッパ諸国やアメリカなどフランス国外にも活躍の場を広げました。また、自らの一座を立ち上げ劇場経営にも携わったほか、アーティストとして彫刻作品の制作を行うなど、生涯にわたって幅広い活動を続けます。(中略)
本展は、サラの人生を当時の貴重な写真や肖像画、舞台衣装や装飾品のほか、ミュシャ、ラリックによる作品をもとに通覧する、日本発の展覧会です。また、彼女が生きたベル・エポックの時代に制作された華やかなポスター作品なども展示し、サラ・ベルナールの世界を多面的にご紹介します。

というもので「サラ・ベルナール」キーワードとして、関連作品を集め、彼女が活躍していたベル・エポック(良き時代)垣間見ようという、美術館で開催される展覧会としては異色の企画です。

私、「サラ・ベルナールという大女優がいた」ことは知っていますが、どんな女優さんだったのかは判りません
これというのも、リュミエール兄弟動画用カメラ兼映写機「シネマトグラフ」を発明し、それを使って最初の映写会を開いたのが1895年末ですから、彼女の全盛期は「映画」が一般化する前。
Wipipediaによれば、

映画の分野でも等しく女優として活躍した。最初の出演映画は、1900年の映画「ハムレットの決闘」である。(中略) サラはその次は2本の無声映画に出演した。

とありますが、残念ながら「動くサラ・ベルナール」拝見したことがありませんで、先ほどググってみたところ、こちらのサイトで数本の彼女の短い動画を見つけました。

画家や彫刻家、工芸家ならば、その作品が後世に残って、我々もその仕事を拝見することができますが、演劇や音楽、舞踊といったパフォーマンス・アートは、録音・録画しないと後世には残らずライヴを体験した人たちが書きしるした文章に頼るほかありません。

ただ、サラ・ベルナールの場合、私が抱くイメージがありまして、それはミュシャによるポスターです。
右に載せた、「ジスモンダ」のポスターとか、こちらで書いた「メディア」のポスターとか…。

右に載せた「ジスモンダ」のポスター(縦2mを超えるド迫力作品)は、1984年末「ジスモンダ」再演が急遽決まり、「事務所」が印刷所にポスターの作成を依頼したところ、印刷所の主立ったところはクリスマス休暇中で、唯一のイラストレーターだったミュシャが筆を執ることになったのだとか。
そして、できあがったポスターをサラが気に入り、以降、ミュシャ feat. サラ・ベルナール黄金コンビが誕生して、二人はまさに「Win-Win」の関係になったというお話が有名です。

テオパルド・シャルトラン描くところの「『ジスモンダ』を演じるサラ・ベルーナル」がとてもステキだったので、ポストカードを買ってきました。

この絵もステキですが、ポスターとしての威力は、ミュシャの作品が圧倒的

   

展示されていた作品の中に、サラティファニーで誂えたという食器セットがありまして、これが何とも凄かった…
40cm×25cmの巨大な水差し燭台トレイが、打ち出し模様も鮮やかに、サラモノグラム(SB)モットーなど統一されたデザインで揃えられています。

この食器セットは、放蕩息子がつくった借金の返済のため、サラが知人に頼んで買い取ってもらったのだとか…。(モノグラムが入った特注の食器ですから、この知人は、使うつもりではなく、大女優ゆかりの品として家宝にするつもりで買い取ったんだろうね)
大女優と放蕩息子って、日本にも似たような母子がいたな…

   

ミュシャと共に「チーム・サラ」のメンバーだったルネ・ラリックの作品が数点、箱根ラリック美術館から出張してきていまして、その中でとりわけ素晴らしかったのはこちら (ポストカードを買いました)

ダイニング用センターピース「火の鳥」

尾羽鳳凰のようで、いかにもジャポニスム好きラリックの作品だと思います。

最後は、「あ いた Misiaさんだと思ったトゥールーズ=ロートレック「ル・ルヴュ・ブランシュ」誌のポスターです。

「ラ・ルヴュ・ブランシュ」は、1891年からパリで刊行(創刊は1889年にベルギーで)された美術と文芸の雑誌で、このポスターは、「ラ・ルヴェ・ブランシュ」の主宰者であるタデ・ナタンソンの妻Misiaさんをモデルに描いたもので、ポスター作品だということもあって、結構、あちこちの美術館で拝見することができます。

   

こうして「サラ・ベルナールの世界展」を観終わった私は、松濤文化村ストリート⇒文化村通りと坂道を下り、ハチ公前交差点を渡って、原宿駅に向かいました。

普通に考えれば、渋谷駅から埼京線あるいは湘南新宿ラインに乗って帰るところですが、渋谷駅の埼京線ホームは遠いし、ちょっと渋谷を散歩するのもいいかな?と思った次第。

ところが、渋谷の中心部はとにかく人が多く歩きづらいし、通りを流している広告トラック/バスからのやかましくて、ぜんぜん快適じゃない

それでも岸記念体育会館の辺りまで来ると、人通りも少なくなって、ちょっと一息
と、代々木第一体育館の下までくると、歩道「変」になっていました

スキーカヌースラロームコースのようです

何だろ、これ? と思ったら、歩道には、

こんなペイントがありまして、

自転車速度抑制ゾーン
歩行者と自転車との事故を防ぐため、自転車の速度を
抑制する対策を行っています。     渋谷区役所

ですって。
要するにシケインなんですな。

そういえば、松濤文化村ストリートを歩いていたとき、ガラガラ不快な音を響かせながら スケートボードで坂を下る若造がいたけど、ああいうのもの危ないですよねぇ。
私の場合、あのからしてムッ としてしまうんですが…。

さて、人が少なくて快適 と思ったのもつかの間、原宿駅の中は人でごった返していました
もともとコンコースもホームも狭い原宿駅なのに、現在は駅舎建て替え工事中で、その混雑が助長されているようです。
今年の初もうでの時には相当大変だったんだろうな…

そんな原宿駅も、ちょうど2ヶ月後新駅舎とプラットフォーム稼働開始するらしいです(こちらのサイトをご参照方)

今年春は、こちらで書いたように渋谷駅埼京線ホーム北上するし、原宿駅新しくなるし、私としては使い勝手が良くなりそう渋谷・原宿界隈でございます。

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