新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

1泊2日で青森市にドライブ旅行 【ダイジェスト 2日目編】

2024-05-25 18:33:26 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「1泊2日で青森市にドライブ旅行 【ダイジェスト 初日編】」のつづきです。

2日目(5/23)も前日につづいて良い天気
前夜、せっかく青森市に来たのだから、中心部にも行ってみようかな、と考えた末、この日の目的に急遽加えた「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に向けてホテルを出発したのは、9:00ちょい過ぎでした。
私には青森市の土地鑑が皆無ですが、「ワ・ラッセ」青森駅の隣ですから、ナビに頼りつつも、案内標識だけでも行ける算段です。

そして、道で彷徨うことなく、9:30前には「ワ・ラッセ」の駐車場に入れました。
なお、駐車場有料ですが、「ワ・ラッセ」の窓口で入場済みの観覧券を見せれば、1時間無料になることは、事前に調べておりました

駐車場はに面していて、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸が目の前です。

私は青函連絡船3度利用しましたが、私は八甲田丸には乗ったことがあるのかな 中学校の修学旅行の往路で乗ったのは津軽丸だということは、写真アルバムで確認できました。
と、埠頭に停泊してた大型客船は、、、

コロナ禍の序盤で乗客の集団感染が話題となったダイヤモンド・プリンセス
この船を見るのは、2016年Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN (MISIAとクロタク Gr.との初共演)赤レンガ倉庫に行ったとき以来

のっけから盛り上がった私でしたが、ここにはではなく「ねぶた」を観に来たわけでして、さっそく「ワ・ラッセ」に入館しました。

始めにパネルでねぶたの歴史なんぞをさらっとお勉強
ねぶたのルーツが「坂上田村麻呂」にあると聞いたことがありましたが、現在では否定的な流れだそうで、「民俗行事『眠り流し』が発展」説が有力のようです。

全国各地の農山漁村で七夕の日を中心に行われていた「眠り流し」の行事が発展したものとする説。
その始まりを民俗行事に求めた考え方ですが、初期のねぶたが「七夕祭」や「ねぶた流し」と呼ばれていたこともあり、有力な起源説と考えられています。「眠り流し」とは、仕事の進行を妨げる「眠気」を追い払う行事で、「ねぶた」は「眠り流し」がなまった語であるとも言われています。

だとか。
そうか、秋田の竿燈まつりとほとんど同じだ 
私の祖父は、「竿燈」とは呼ばずに「ねぶり流し」と呼んでいましたっけ…

なお、竿燈まつりと七夕との関係については、こちらの記事をご参照方。直接的な関係はなく、単に時期(旧暦)が近かったということらしいです

さて、私にとって初めて見るねぶた実物

大きい そして立体感が凄い

そして、360°それぞれの角度から違った場面を見られるというのが面白い

「ワ・ラッセ」の展示で初めて知ったのは、大型ねぶたそれぞれが大型発電機を搭載していて、電球や蛍光灯を光らせているということでした。
っつうか、光源その電源なんて考えもしたことがありませんでした

昔はろうそくを使用し、ねぶたに光を入れていたが、現在では800~1000個の電球や蛍光灯を取り付けています。
この電源になるのが発電機です。重さは約1.3tもあり、ねぶた本体と合わせると約4tにもなります。

だそうな。

う~む、楽しかった

   

次の目的地は「八甲田山雪中行軍遭難資料館」です。
泊まったホテルからは八甲田がよく見えました。

もと来た道を引き返すようにクルマを走らせていると、クルマの積算走行距離「キリ番」に近づいてきました。
今のクルマにしてからは「キリ番」を撮影することはしていなかったのですが、今回は撮影のチャンスですので、残り1kmを切ったところで、脇道に入り、いつでもクルマを駐めることができるようにしました。
そして、その時がやって来ました

55555km

納車(2019/6/1) から約5年でこの日を迎えました

さて、泊まったホテルの前の交差点を左折し(ルートにムダがある)15分ほど走ると、八甲田山雪中行軍遭難資料館に到着しました。

なかなか端正な建物です。
中の展示を見て察するに、遭難した歩兵第5聯隊の建物を模しているようです。

この資料館は、幸畑(こうばた)墓苑の中にあって、資料館の裏には、幸畑陸軍墓地があり、雪中行軍で亡くなった将兵の墓が並んでいました。

そちらはあとでお参りするとして、まずは資料館を見学しました。
資料館に入ると、、

後藤房之助伍長の像(レプリカ)です。
後藤伍長が仮死状態で発見され、蘇生後の証言から捜索活動が活発化したのだとか。この像についてはWikipediaをご参照くださいませ。

この遭難事件は新田次郎「八甲田山死の彷徨」を原作とした映画「八甲田山」(なぜか創価学会が製作に加わっている)でよく知られていますが、210名の行軍参加者のうち199名が命を落とすという、航空事故や海難事故以外にはありえない事故です。
しかも、朝に兵営を出発して(もちろん徒歩)その日のうちに遭難してしまったというのですから…

現代とは比べものにならない貧弱な防寒着で、足は「唐辛子と一緒に油紙で包んでわら靴」というもの。
コンパスと地図を頼りに、通信手段もなく、遭難2日目には青森市で「最低気温 -12.3℃、最高気温 -8℃、最大風速14.3m/秒」を記録するような極寒のタイミングで演習(行軍)を実施するなんて…

第5聯隊のトップが責任を問われて当然だと思うのですが(津川聯隊長は進退伺いを出している)、そのまま留任し、さらに、事件の1年後には中佐から大佐に昇格までしているという…。どういうこと?

資料館の裏にある陸軍墓地に立ち寄ってみました。

正面に大隊長の山口少佐以下士官10名の墓標があり、下士官以下189名の墓標が左右に分かれ、向かい合うように整然とならんでいました。

墓標の大きさは、階級によって区分されているようでした
まぁねぇ~

   

やるせない気持ちを抱えた状態でクルマに戻り、秋田を目指しました。
またまた来た道を引き返し、以下のルートで次の目的地大館市に行きました。

幸畑墓苑⇒青森中央IC⇒青森道⇒青森JCT⇒東北道⇒小坂JCT⇒秋田道⇒大館北IC⇒R7

大館で高速道を降りた目的はこちらです。

秋田犬会館です。
この日は木曜日だったため、くろべえ・銀ちゃんはお休みで、「本日は秋田犬は不在です。『秋田犬の里』で会えます」と貼り紙がありました。
今にして思えば、大館駅前にある秋田犬の里に行って、青ガエルと再会すれば良かったかな? と、ちょっと後悔

秋田犬会館3F秋田犬博物室を見学。

秋田犬の毛皮はほんっと大きくて、「毛色の変わったクマです」と言われたら信じてしまいそう

ヘレン・ケラー贈呈された秋田犬と一緒に写っている写真があったのですが、この「海外に渡った最初の秋田犬」神風号(1937年に渡米して2か月に病死)の兄・剣山号は、秋田犬というよりシェパードに近い顔立ちをしていました。
昔、秋田犬狩猟犬としてだけでなく、闘犬としても飼われていたそうで、強い犬をつくるべく、シェパードなど外来を含む大型犬と交配されていたとか。
現在では厳密に血統管理されていますが、この剣山号は、シェパードの血が濃く出たのかもしれませんな

ということで、どこかで昼食を、と思ったのですが、なかなかクルマを駐めて食事できるところがありません。
ようやく見つけたファミレス普通のランチをいただきました。

さて、次に行こうと考えていた伊勢堂岱遺跡をどうする???
この日に旧友たちと約束していた飲み会を考慮すると、あまり時間に余裕はありません
結局、ファミレスのレジでのちょっとしたこと伊勢堂岱遺跡に行く意欲が完全に途切れてしまい、そのまま別邸に帰りました。

伊勢堂岱遺跡秋田犬の里はまた次の機会に です。

以上、「1泊2日で青森市にドライブ旅行【ダイジェスト】」でした。

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