「3日連続で美術館・博物館に行った話 #2-2」のつづきは、3日目、東京国立博物館(トーハク) の探訪記です。
10月14日 東京国立博物館
私がトーハクに行った10月14日は鉄道開業150周年の記念日だったのですが、トーハクにとっても、今年は150周年を迎える節目の年で、今週火曜日 10月18日から、トーハクが所蔵する国宝89件すべてを公開するという特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が始まりました。
14日は特別展の端境期ということで、ほどほどの人出。でも、修学旅行生が集団でいたり、長いこと見かけなかった外国人の観客がいたりと、コロナ禍から回復途上にある感じがしました。
この日の一番のお目当ては、ミュージアムシアターの「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」を視ること。
10月25日には「国宝 東京国立博物館のすべて」展の日時指定予約を取っていますので、10日後にはトーハクに行くことは確定してはいるのですが、「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」は10月16日で終わってしまうプログラムでしたから。
ですから、正午ちょい過ぎにトーハクに着いた私は、まず、東洋館地下のミュージアムシアターに行き、13:00の回のチケット (600円)を購入し、それから、東洋館を見物しました。
昼食は、空腹感がなかったことから、ミュージアムシアターを見終わったあと。
エレベーターで最上階まで上って、階段で下りてこようと考えて、最初は朝鮮の古物。
ここで「ん?」と思ったのがこちら。
朝鮮で出土した勾玉です。
勾玉って、日本独自のものじゃなかったのか? と思いながら(かの国の人たちはなんでもかんでも朝鮮発祥と言いがちだから、「太極から発想したもの」と主張しそう…)、展示室の隅に移動してググったら、こちらによると、
勾玉は日本独自の形の玉で、朝鮮半島南部の古墳出土のものは日本よりの伝来品とされている。
だそうです。
さらに「ん?」と思うものに遭遇しました。
これは馬の鞍の後ろにつけて、旗を立てるための鉄器でしょ。
説明板を転記しますと、
寄生(きせい) Flagpole Holder for a Saddle
韓国梁山夫婦塚出土 三国時代(新羅)・6世紀
左端の部分を鞍に固定し、右端の部分に旗竿をつけるための道具です。高句麗の古墳壁画や日本の形象埴輪にも寄生の表現が見られます。梁山夫婦塚では、なぜか寄生だけほかの馬具から離れた位置に副葬されていました。寄生とは中国の歴史『南斉書』で使われている名前です。
やはりそうでした
同じトーハクの考古展示室にも同様のものが展示されているけれど、あちらは「蛇行状鉄器」という「馬具」だとしか判らないそっけない展示だったはず。
そこで、このあと、平成館1階の考古展示室まで観に行きました。
ほら、同じ
でも、説明板は、
と、やはり「馬具」だとしか判らない
私は、この「蛇行状鉄器」が、旗を立てるための馬具だということを埼玉(さきたま) 古墳群を見学したときに知りましたけど、このトーハクの説明不足は何事なんだろねぇ~
学芸員さんが何かに不満ですねているような感じです
つづいて中国の書画に移動して、この「二祖調心図軸」(伝石恪筆 南宋・13世紀) がイイ
いやぁ~、もふもふしてます
この作品の表装、メインの「一文字」に「葵の御紋」が織り込まれているみたいです。徳川 or 松平家伝来の品なのでしょうか?
とかなんとかしているうちに、13:00が近づき、ミュージアムシアターに移動しました。
そして、「故宮 VR 紫禁城・天子の宮殿」を鑑賞しました。
北京の故宮から、清最盛期の乾隆帝時代の太和殿(日本の大極殿や紫宸殿に相当する公的なメインの建物)、皇帝のごく私的な憩いの小部屋・三希堂、乾隆帝の隠居所・倦勤斎をVR(仮想現実)で体験する、という内容で、かなりかなり楽しめました
この3つの建物・部屋のうち、太和殿には実際に行きましたし(写真は太和殿の殿上から太和門を見下ろしたもの)、
三希堂は、トーハクの「北京故宮博物院200選」展 (2012年)の際、平成館の展示室内に実物大で再現されたもの(ホントに小部屋)を楽しみました(記事)。
「三希堂」は、乾隆帝秘蔵の名品、王羲之の「快雪時晴帖」、王献之の「中秋帖」、王珣の「伯遠帖」の「三つの稀な品を楽しむ堂宇」ということで名づけられたそうな。
一方、倦勤斎は、その名前の由来は説明されませんでしたが、乾隆帝の隠居所として建てられたことからして、「勤めるのに倦んだ先帝の書斎」といった意味なのでしょうかねぇ
でも、建物の中は、劇場はあるは、ほとんどの部屋に「玉座」はあるはで、庶民の私は、こりゃ落ち着けない…と思いました。
実際、退位したあとの乾隆帝はひきつづき政務に忙しく、倦勤斎はほとんど使われなかったそうです。
こんなに立派な建物を建てたのになぁ
それにして、どの建物も、どの部屋も、どの調度品も、「書」に覆われていて、あれで乾隆帝は和めたのか、ちょいと疑問でもあります。
ふと、中共国が台湾の統合にしゃかりきになっているのは、蒋介石率いる中華民国政権が、明・清の財宝を持って台湾に渡ったことで、台北・故宮博物院が北京・故宮博物院よりも遙かに優れたコレクションを所蔵していることに、その一因があるのではないかと考えています。
つまり、明⇒清⇒中華民国⇒中共国という支配の正統性が、伝承の財宝が欠けていることで損なわれていると考えているんじゃなかろうかと…
とかなんとか、いろいろと考えてしまいました
このあと、「ゆりの木」で遅い昼食を食べて、
外に出ると、スイフヨウが咲いていました。
そういえば、李迪「紅白芙蓉図」が展示されていなかったな… と一瞬思いましたが、「紅白芙蓉図」は国宝、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」に向けてお休み中でした。
考えてみれば、いつでも必ず国宝が展示されているイメージのトーハクで、「国宝室」(本館2階 第2室)を含めて、国宝がまったく展示されていないというのは、かなりかなり珍しいことだったんだ
そう考えると、こんな日にトーハクを訪れたことは、得がたい体験だったかもしれません
「さ、10月25日には、国宝に溺れるぞ 」とワクワクドキドキで、トーハクから家へ帰ったのでありました。
と、3日間のことをブログに書いてみると、なんと濃密な3日間だったんだろうか と思います。
でも、きょうから3日間(10月21~23日)は、10月12~14日よりも更に濃い3日間になるはずです。
なにせ、「MISIA THE GREAT HOPE」日本武道館 3 daysなんですから
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