「その1」のつづきです。
ようやく東博の館内に入ります。
東博の展示品は、特別展が開催される平成館2Fと「撮影禁止マーク」が表示された一部の作品を除き、基本的に写真撮影OK
です。
ただし、館内は照明を抑えているし、フラッシュ、一脚・三脚は使用禁止ですので、よほど慎重に撮影しないとブレまくりです
。
そんなわけで、慎重に撮影した写真をご紹介
まず、蒔絵が施された豪華な手拭い掛け。
旅館でお馴染みのスチールパイプ製の手拭い掛けとはモノが違います。
おいそれと馴染みのお店から年末の挨拶で頂いた宣伝用の手拭いやタオルなんぞは掛けられない気がします。
また、丁寧に扱わないとぽっきり折れてしまいそう
次は、MISIAのESCAPEのPVにも登場したこちら。
平成館1Fの「考古展示室」に陳列されていました。
縄文時代にこうした土偶を作った人たちは、弥生時代以降現代に至るまでの日本人とは、人種が違うという話を聞いたことがあります。
加えて、縄文人の「日本」を、弥生人の「倭」が滅ぼして、国名は縄文人の「日本」を頂いたという話も・・・。
詳しくは知りませんが、この「土偶」や「火焔型土器」を見ると、弥生時代以降のモノとは、まるで違うことを実感します。
やはり縄文人は現在の日本人にはつながっていないような気がしてきますなぁ。
もう1枚、「考古展示室」からご紹介しましょう。
どんな意図でこんなひょうきんな埴輪を作ったのでしょうか。
ちょいと話が変わりますが、随分前、電車で隣に座っていたご夫婦がこんな会話をしていました。
妻「『土偏』に『高』いって書いて何と読むか知ってる?」
夫「・・・」
妻「『はなわ(塙)』ですって。『はにわ』なら判るのにねぇ」
私、吹き出す寸前でしたヨ。知っている人に「塙さん」がいたもので・・・。
で、ようやく、目的の、2日がかりでたどり着いた「特別展関連展示 正倉院宝物の模造制作活動 伝統技術の継承と保護」です。引っ張って、ホント、すみません…。
事前に予想していたとは言え、そんじょそこいらの「模造品」、「ニセモノ、アルヨ~。ヤスイヨ~」とはわけが違いました。格が違いました 作り手の「心」が感じられました
約1300年前に作られた、当時最高峰の技術・技能が注ぎ込まれた宝物を目の前にして、それに勝らず・劣らないモノを作ろうとした職人の方々の心意気や思いが感じられて、涙の一歩手前・・・。
前にも書いたかもしれませんが、技術は過去の積み重ねの上にある一方で、技能はその人一代のものだと思っています。
昔の宝物が、作られた当時はどのようなモノであったのかは、ある程度まで最新技術が明らかにしてくれます。でも、それを再現しようとすると、現代の名工が昔の作者に並ぶだけの技能を持たなければなりません。もちろん、当時の技能の一部は、現代の技術で肩代わりできるかもしれませんが、最後は、現代の名工の技能に頼らざるを得ないはず。現代の名工は、大きな壁にぶち当たることもあったでしょう。その壁が、模造品を作ることを通じて、次世代に残す技術に変えることが多かったのではないかと思います。
と、大仰なことになってしまいましたが、些細なこととして、双六盤(木画紫檀双六局)が、勝手に想像していたモノよりはるかに小さいことに驚きました。そして、盤面のつや消しの木目の美しさ…。
こんなことを感じられるのは、模造品が存在して、年に一度の正倉院宝物の虫干しとは無関係にそれを観られるからなのですよ。
ん~、2週連続、かつ、2日連続で上野に行った甲斐がありました。
最後の写真は、前庭で見かけた雀。冬の雀は丸々としていてかわいいです