新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2020年最初の関西旅行記 #3-2

2020-02-05 07:30:27 | 旅行記

「2020年最初の関西旅行記 #3-1」のつづきです。

平等院の入口で並んでいると、スタバカップを手に入場しようとした中国人観光客受付の係員に止められていました。
確かに平等院「観光スポットではあるけれど、仏様をおまつりする宗教施設(お寺)なんだから、ストローを差した飲み物を手に散策するのは不適切だろ
その辺、旅行会社やガイドさんは事前に説明しないのかな

もっとも、日本語「堂内では静粛に願います」の貼り紙のある教会やお寺もあるわけで、一概に「中国人は…」とは言えませんけど…

さて、平等院鳳凰堂のことは、当日のダイジェストたっぷり写真もまじえて書いていますので、あっさりめにします

しばしば「鳳凰が翼を広げたよう」と表現される鳳凰堂、左右の翼廊も、阿弥陀如来をおまつりする中堂も、朱の柱軽やかで、本当に飛び立ちそうです。
阿字池をはさんだ反対側から鳳凰堂を眺めていると、此岸の我々「つつみ込むように…」佇んでいるようにも見えます。
両翼を広げたシンメトリーな建物って、国会議事堂迎賓館赤坂離宮東大・安田講堂東京駅丸の内駅舎聖徳記念絵画館などなど、重々しく権威主義的で、威圧感が先にくるものですが、この鳳凰堂真逆で、その主旨そのままに、亡くなる人極楽浄土に迎えてくれる優しさに満ちています。

でも、よくよく鳳凰堂を見る「変な建物」です。

翼廊は、普通の建物のような用途持っていなくて、ただただ全体の形を整えるために存在しているのですから

いや、中堂に向かう際の屋根代わりの役目は果たしていますな

ずいぶん昔にTVで観たのですが、翼廊床と屋根裏との間は極めて狭くて、人が立ち入ろうとすると、腹ばいになって進むしかないらしいです。

一方、鳳凰尾羽に相当する尾廓は、

「普通の建物」っぽいのですが、やはり

平等院鳳凰堂・尾廊

どうして火灯窓がついているのでしょうか?
火灯窓は、禅宗建築と共に中国から日本へやって来たと記憶していますけど、鳳凰堂が建てられたのは平安時代の11世紀半ばで、禅宗到来鎌倉時代(12世紀末~)。
後世に改変されたということなのかな?

   

それにしても、鳳凰堂「見た目重視」の建築物だけに、ホントに美しい建物です

NHK Eテレで2015年に放送された「趣味どき! 国宝に会いに行く」の第2回(きのう久しぶりに録画を見直した)で、橋本麻里さんが平等院鳳凰堂について「極楽浄土のテーマパーク」と話されていましたけど、テーマパークなら楽しくなければならない わけで、美しいのには理由がありますな

中堂の上の鳳凰金色に輝いていました

   

予想斜め上を行く素晴らしさ鳳凰堂の外観を拝見した次は、鐘楼を拝見しました。

側に立つ説明板を読むと、

梵鐘 (摸造)
平等院の鐘は、「姿(形)の平等院」として日本三銘鐘の一つにあげられます。
鐘身にほどこされた装飾美しいことで有名です。
昭和47年、寸分違わぬ姿で復原された二代目です。

あれま、レプリカですか

でも、ホンモノと「寸分違わぬ姿」だそうですから梵鐘のレプリカを拝見しましょうか。

あらまぁ~ こんなに浮彫だらけの梵鐘を観たのは初めてです

反対側からクローズアップしてみましょ。

印象的な天女獅子の浮彫だけでなく、梵鐘全体を格子状に仕切るまでビッシリ装飾されています

ここまでくりからもんもん風にするかねぇ

ところで、説明板にあった「日本三名鐘」、この平等院の梵鐘(のオリジナル)の他、2つの梵鐘どこのなんでしょうね?
ググれば すぐにが出てきまして、

三井寺の鐘音色のよさ、平等院の鐘は藤原時代の作で装飾のよさ、神護寺の鐘は875(貞観17)年に記されたで知られる。

だそうです。
また、神護寺の鐘ではなく東大寺の鐘(記事)を挙げる説もあるみたいです。

三井寺(園城寺)は、約10年前に拝見しました (記事はこちら)
残念ながら、売りの「音」聴いておりませんが…

一方、神護寺は、訪問したことすらありません
神護寺所蔵の「伝源頼朝像」を観るために九州国立博物館まで出かけたというのに(記事その1, その2)、ご本家に行ったことがないというのは忸怩たるものがあります。
でも、神護寺って、京都の街から結構遠くて、交通案内をみると、

JR京都駅、地下鉄烏丸線京都駅からJRバス「高雄・京北線」で約50分、「山城高雄」下車、徒歩約20分

とその気にならない限りかなり行きづらい

ところで、神護寺の鐘について、上に引用した説明では「875(貞観17)年に記された銘」とだけ書かれていて、「古い」という意味かと思ったのですが、そうではなく、こちらのサイトによれば、

序詞橘広相(たちばなのひろみ)が、銘文菅原是善(すがわらのこれよし)が、そして揮毫(きごう)は藤原敏行(ふじわらのとしゆき)による銘文が刻まれています。
序・銘・書の技芸にすぐれている人物の手によるものであるため「三絶の鐘」と称されているほか、「銘の神護寺」と呼ばれることもあります。

ですって。
梵鐘はその重量もあって、仏像/仏画のような「出開帳」はほぼあり得ないでしょうから、やはり行ってみなければならなそうです

だんだん話題が平等院から逸れてきたところでひと休みいただき、「#3-3」では、ミュージアム鳳翔館の見聞録を書きます。

つづき:2020/02/08 2020年最初の関西旅行記 #3-3 

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