『死後はどうなるの?』の著者スマナサーラ師はスリランカの高僧である。
上座部仏教では死んだらどうなると考えているのか、興味があったので読んでみた。
スマナサーラ師は、輪廻転生はある、という考えである。
その輪廻とは、たとえだとか、六道とは心の状態を表わしているという解釈ではない。
人間が人間に生まれ変わる、だから死んでも死なない、というお気楽な生まれ変わり論でもない。
スマナサーラ師の説く輪廻とは、実際に霊魂が六道を生まれ変わりする。
天に生まれるか、畜生や地獄に堕ちるかわからないから、輪廻は苦しみである。
死んだら輪廻することが事実だという証拠をスマナサーラ師は2つあげている。
1,修行によって過去世を知ることができる人がいること
2,過去世を覚えている子供がいること
なあ~んだと思いました。
過去世を覚えているということについて。
修行することによってこうした超能力を得た人々が、人間は死んでもそれで終わるのではないと、自分の体験にもとづいて語っている。
スマナサーラ師の説明だと、一劫とは一つの宇宙ができあがって消える間である。
ビッグバンは130億年前とのことだから、その40倍の約5000億年間の記憶があることになる。
だったら、ビッグバン以前の宇宙はどんなだったのか、恐竜はどうして滅びたのか、未解決の殺人事件の犯人だとか、そういったことはスマナサーラ師のように真剣に修行して超能力をえた宗教家に聞けば教えてもらえるんだろうか。
釈尊が輪廻は苦だと説いているのは超越的な体験をもとにしている。
催眠術で過去世を思い出す、生まれ変わりしながら霊性の修行をすると主張する飯田史彦氏たちスピリチュアル信者は、そういう修行はしていないだろうから、やはりインチキなのだろうか。
では、何が輪廻するのか、それはこころだ、とスマナサーラ師は言われます。
エネルギー不滅の法則が示すように、物質は消えない。
こころにもエネルギー不滅の法則が当てはまる。
こころは瞬間的に変化していく巨大エネルギーである。
「こころから波動を出している」とか「こころのエネルギー」、あるいは量子力学への言及など、どうもニューエイジめいています。
神々について。
天の神々も食べ物をとるが、その食べ物は物質ではない。
中国で気功の訓練をする人のなかには、食べることをやめてしまう人々がいる。
何も食べない人がいるということを本気で信じているとしたら、スマナサーラ師は騙されやすい人だと思う。
「今度、生まれ変わったら真人間になります・・・・と、平塚(八兵衛刑事)さんに伝えて下さい」
と言った最後の言葉は有名ですが、この言葉は生まれ変わりたいというよりも、もっと別の願いがあったのではないか・・・と、ふと最近思うんですよね。
ひょっとして、深い慙愧の想いが、その言葉を発したのかも知れないと。
もちろん、小原被告の真意は分かりませんが、どうも私は、単なる生まれ変わりたい願望と簡単に捉えられないんですよね。
小原被告の真意は ただ単に 後悔・やり直したい意ですよね。
そして スマナサーラ師は 死んだら輪廻する、という理由として、
1,修行によって過去世を知ることができる人がいること 2,過去世を覚えている子供がいること
と言っているのですか。
駄目ですねえ。 この人はもう1度釈迦仏教を学んだ方がいい。 ま 知っていてとぼけているのだとは思いますが。
皆様も「日本テーラワーダ仏教協会」にはお気をつけて。
硝煙さんが言われるように、本当に生まれ変わりを信じていてそういうことを考えるのではなく、今の満たされなさや悔いがあり、こうなりたいという願望を未来に投影しているのでしょう。
輪廻を科学的に証明するなんてことできるわけないし、宗教者の取るべき立場ではありません。
教義の正当性を科学によって証明しようとする宗教はアヤシイと思ったほうがいいですね。
<集団ストーカーの死>: 死んでもつきまとえ http://deathofgangstalkers.blogspot.com/2010/12/blog-post_5860.html?spref=tw若い集団ストーカー犯罪者は先に死んでいく犯罪者の臨終をストーキングし、どんな地獄を見ているのか追跡してこそ立派なストーカー
それは、走馬灯。死が迫った状態に陥った人が見るというライフ・レビューの映像。けれど、誰もがみるわけでない。とくに突然わが身にふりかかった危機に見られるという。この現象を、「解離」と関係づけて考察されているかたがいます。面白い見かただと思います。
https://susumu-akashi.com/2016/05/panoramic-memory/
NHKで、四年前に『超常現象 科学者たちの挑戦』という番組があって、透視やテレパシーを「量子もつれ」で説明していたようですが。
メカニズムを説明する前に、生物である人間の、生体反応(防衛機制)のひとつとして走馬灯(パノラマ体験)をとらえるほうがずっとまともなアプローチだと思うのですが。。。
以前、わたしが「虫の知らせ」を取り上げたとき、「危機幻像」といいかえました。ヴァージニア大学のジム・タッカー博士の研究でも、「生まれ変わり」の記憶をもつ子どもは、70%が前世は暴力や変死で死んだというそうで、この「危機状況」と超常現象というのは、なにか関連があるのではないかと私は思うのですが、残りの人生を使って大学に行って研究しようかな(笑 http://karapaia.com/archives/52219990.html
年とともに時間が経つのは加速するようです。
その謎を解明する本のようですから、読んでみましょう。
教えていただいた本がどんどこ増えて、実際に読むのは一年後ぐらいになりそうですが。
危機幻像ということ、業の考え方みたいですね。
暴力を受けたという行為が実体として残り、それが輪廻するということでしょう。
行為をすることで業という微粒子が作られ、その微粒子が善、もしくは悪の影響を及ぼすという考えと似てるように思います。
暴力を受けたという残滓が来世に残るとしたら、恐ろしい話です。
http://ur2.link/IDJR https://jp.vice.com/lifestyle/sokoniirushisha
ここに「携帯に電話したら、亡くなった兄ちゃんが出た」という話が書かれてます。私もあるおばあちゃんから、「亡くなった人から電話がかかってきた」という話をうかがったことがあります。
その方は、「娘に知れたら、とうとうお母ちゃんも惚けたかと言われるのでいわないで」とか「うちの住職さんが聞いたら、おかしな檀家っていわれるから」とか言われてました。
頭から否定するから、みな尻込みして話さない。教団は公認の教学を押しつけるだけで、檀家の生の声を封じているだけで衰退するのももっともかなと思います。
さあ、どうでしょう(笑。「前世」を語る子どもたちは、6、7歳になると記憶を語らなくなり、ぼやけてきてやがてそんなことを語っていたことも忘れたりするというのが興味深いです。
さて。こちらの本は当時女子学生だったひとが果敢に聞きとりに挑んだもの。
http://ur2.link/IDN3
案の定、聞きに行った先で怒鳴られたりしている。これ、信頼できる手次寺のお坊さんだったらこんなことはないと思うけど。
もし唯識論者だったら、死者のみならず生者さえも本来、外部に存在しないんでしょうから驚くにあらずって受け止められると思うんですが。
>幽霊が実在するかどうかはここでは問題ではなく、あってもなくても、それは自己の投影である可能性が高いと言うことです。
というレビューを書かれてる方もおられます。
それにしても、頭ごなしに否定する坊さんがいるんですかね。
『呼び覚まされる 霊性の震災学』の星1つのレビューは、幽霊談は23ページだけで、しかもネットで読んでいたことだとあります。
http://urx.red/IEC0
まあ、この方はどうしてこんなに感情的なレビューを書かれているんでしょうね。↓ と書かれていますが、何を期待されてるのやら。
>被災地における幽霊現象の話を求める者にとっては、大して面白くもない話ばかり