三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』(1)

2023年04月02日 | キリスト教

『紳士協定』(1947年)は反ユダヤ主義をハリウッドで始めて正面から取り上げた映画だそうです。
同じ年に製作された『十字砲火』もユダヤ人差別をテーマにしています。
反ユダヤ主義を取り上げた映画はその後も作られていますが、スティーヴン・スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』もその一つ。

1964年、17歳の時にアリゾナ州からカリフォルニア州に引っ越したスピルバーグは、高校で「キリストを殺したことを謝罪しろ」と難癖をつけられます。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』の注にこうあります。

ユダヤ人に対し、長年にわたってなされてきたキリスト殺しとの非難、および体系的に教えられてきたユダヤ人は裏切り者であるとの言及が、カトリック教会によって正式に撤回されたのは、1962年に開催された第2回バチカン公会議の席上でのことだった。

スピルバーグに言いがかりをつけた生徒はたぶんプロテスタントだと思います。

町山智浩さんによると、スピルバーグ家が住んでいた地域は、1950年代、60年代はユダヤ人がほとんどいなかったそうです。

ユダヤ系がたった1人だと、白人の他の生徒たちがいじめるんですよ。すごいいじめをやったみたいです。民族差別を。で、なんというかですね、お金、小銭をスピルバーグに投げたりするんですよ。「ユダヤ人は金が好きなんだろう?」って言って、投げるんです。(略)
学校ではね、本当に殴られて、彼は大怪我もしています。で、大問題になったりしてるんですよね。

https://miyearnzzlabo.com/archives/94452

映画でも殴られるシーンがあります。
他の生徒たちはその場を見て見ぬふりをして通り過ぎます。



『マラーノの武勲』の解説によると、マルコス・アギニスの両親は東ヨーロッパからアルゼンチンに移住したユダヤ系で、家族のほとんどをナチスに殺害されています。
マルコス・アギニスが生まれたコルドバ州の町では、アギニス家は数少ないユダヤ人家族であり、周囲から差別を受けた。

小学6年の時、欠勤した担任教師の代わりに校長が授業をした。
国家と非愛国者について話題にし、非愛国者とはだれかと問うた。
そして、「それはジプシーとイスラエル人だ。イスラエル人たちは祖国から追放された民でね、キリストを受け入れなかったから非愛国者なんだよ」と言った。
入学時から好印象を抱いていた校長の言葉にショックを受けた。

ペロン政権(1946年~)は中学校でカトリックの宗教教育を義務化した。
ユダヤ人の保護者たちは、信仰の違いを理由に出席しなければ子どもたちが嫌な思いをするのではと危惧し、参加させることにした。
2年目に宗教を担当したのは温和な司祭だった。
だれかがユダヤ人の宗教について質問すると、司祭はためらうことなく「彼らは信仰など重視しない。唯物論者で、金のためだけに生きているからだ」と断言した。

『マラーノの武勲』の主人公は、17世紀に実在したフランシスコ・マルドナド・ダ・シルバというユダヤ人です。

1492年、スペインが統一すると、改宗に応じなかったユダヤ教徒とイスラム教徒はスペインから追放された。
フランシスコの曾祖父はポルトガルに逃げた。
ポルトガルでもキリスト教に改宗したユダヤ人(新キリスト教徒)に対する大規模な殺戮が起こる。
1536年、ポルトガルに異端審問所が設置された。

父のディエゴ・ヌーニェス・ダ・シルバは1548年にリスボンで生まれる。
ポルトガルでも異端審問が行われたので、ディエゴはブラジルに移住した。
ところが、ブラジルはポルトガル以上に異端審問所が非道だったので、スペイン領のペルー副王領に移った。
新キリスト教徒はユダヤ人であることを隠して生きる。

注によると、「マラーノ」とはこういう意味です。

キリスト教に改宗したにもかかわらず前の信仰を秘密に維持していたユダヤ教徒やイスラム教徒を侮蔑的に形容した言葉。乳離れしたばかりの若い豚の意で、不潔さや強欲さを彷彿とさせる。当初は破門者を指すのに使用されたが、13世紀以降、強制的に改宗させられたユダヤ人やユダヤの慣習を保持していると嫌疑をかけられた者たちに向けられるようになり、あらゆるユダヤ人、特に新キリスト教徒を指す侮蔑語になった。


フランシスコは1592年に現在のアルゼンチン、トゥクマンで生まれる。
ユダヤ人であることが知られることを怖れ、コルドバに引っ越す。
しかし、フランシスコが9歳の時、父はユダヤ教信奉の罪で逮捕され、リマに連れて行かれた。
財産は異端審問所の経費にするために没収される。
1年後、兄も逮捕。
姉2人は修道院に入り、母親は死亡した。
フランシスコは修道院で教育を受ける。

1610年、リマに行き、大学で医学を学んで、父と同じ医師になった。
釈放された父と再会する。
父は拷問を受けたため身体が不自由になっている。
父によって自分はユダヤ人だという意識を持つようになった。

父が死亡した翌年の1618年にチリに移る。
ユダヤ人であることを知られないためである。
そして、ユダヤ人だとは教えずに結婚する。

ところが、娘が生まれ、2人目が出産間近であるにもかかわらず、姉にユダヤ教を信仰するよう勧めたために密告された。
1627年、ユダヤ教信奉の罪で逮捕される。
財産は没収され、知人から白い目で見られるということを経験しているのに、なぜ逮捕されるようなことをしたのでしょうか。
妻や子供のことは考えなかったのかと思います。

それでも、謝罪すれば父のように釈放される可能性はあります。
なのに、ユダヤ教の信者であることを認め、異端審問官と何度も神学論争をする。
フランシスコはリマの異端審問所でユダヤ教信奉の罪で死罪判決を受け、1639年に火刑に処される。

異端審問所には取調べや裁判の記録が残っており、マルコス・アギニスはそうした記録などをもとに『マラーノの武勲』を書いたそうです。
解説によると、リマの異端審問所では1569年の開設から1820年の閉鎖までに、1442名の被告を処罰し、32名に死刑を執行しています。



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