『フェイブルマンズ』で、ユダヤ人はキリストを殺したと言いがかりをつけられた主人公(スティーヴン・スピルバーグ)は、ガールフレンド(福音派?)に、2000年前にはいなかった、イエスも弟子たちもユダヤ人だなどと説明します。
マルコス・アギニス『マラーノの武勲』にも同じようなやりとりがありました。
フランシスコが9歳の時、父が息子ディエゴに自分たちはユダヤ人だと説明するのをこっそり聞きます。
「ぼくらはユダヤ人なの?」
「そうだ」
「なりたくないよ・・・そんなものには」
「オレンジの木がオレンジ以外になれるかい? ライオンがライオン以外の動物になることなどできないだろう?」
「だけど、ぼくらはれっきとしたキリスト教徒じゃないか。それに・・・ユダヤ人は裏切り者だ」
「では、我々が裏切り者だと言うのかい?」
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人なんだから」
「わたしが彼を殺したと言うのかい?」
「違うよ・・・そんなわけないじゃない。でも、ユダヤ人は・・・」
「わたしはユダヤ人だよ」
「ユダヤ人はイエスを殺し、十字架にかけたんだ」
「だったら、おまえが殺したのかい? おまえはユダヤ人なのだから」
「違うよ、ぼくが殺したんじゃない!」
「おまえが殺したのでもなくわたしが殺したわけでもないとなると、〝ユダヤ人〟つまり〝ユダヤ人全部〟が罪人ではないことは明らかだ。それに、いいかい。イエスは我々と同じユダヤ人だったんだよ。イエスを崇拝している人々の多くがイエスの血を、彼のユダヤ人としての血を憎んでいる。実に矛盾したところがある。ユダヤ人一人ひとりがどれだけイエスに近い存在であるのか、彼らにはそのことがまったく理解できないんだ」
「それじゃあ、父さん、ぼくらは・・・つまりユダヤ人はイエスを殺していないの?」
「わたしはイエスの逮捕はもちろん、彼に対する偽証にも加わっていないし、磔にだってしていないよ。おまえはそんなことをしたかい? わたしの父は? 祖父は?
福音書では〝数人の〟ユダヤ人たちがイエスの死刑執行を要求したと書かれているが、〝ユダヤ人全員が〟とは言っていない。なぜなら、もしすべてのユダヤ人がというのならば、そこにイエスの使徒たちや聖母マリア、マグダラのマリア、アリマタヤのヨセフなど、いわば初期のキリスト教共同体を形成した者たちも含まれてしまうからだよ。ユダヤ人であるイエスを捕らえたのは、当時ユダヤ王国を支配していたローマの権力者たちさ。ローマ人こそが牢獄で彼を拷問にかけた。イエスを、ユダヤの王を騙る人間だと中傷し、同胞たちを解放しようとした一人のユダヤ人を嘲笑しようと茨の冠を被せたのも、ほかならうローマ人たちだ。それに磔刑だって彼らによって発明されたものだよ。十字架で死んだイエスと盗人だけじゃない。イエスの生まれる前から、そして彼の死後、かなりの歳月が経過するまで、何千人ものユダヤ人が磔にされて殺されたんだ。イエスの右脇腹に槍を突き刺したのもローマ人だし、彼の衣服を分配しようとくじで決めたのもローマの兵士たちだった。一方、慈悲深い態度でイエスの亡骸を十字架から降ろし、立派に埋葬したのはユダヤ人たちだった。イエスを忘れないように彼の教えを広めていったのだってユダヤ人たちだった」
「じゃあ、どうしてユダヤ人は責められるの?」
「我々が服従せずに抵抗するから、憤慨しているのさ」
「ユダヤ人はイエス・キリストを認めないから?」
「争いの焦点は宗教ではない。キリスト教徒は我々の改宗を願っているわけじゃない。それなら話は簡単だったろう。すでにユダヤ人社会全体を改宗させたのだから。本当はね、彼らは我々の全滅のために戦っているんだよ。何が何でも絶滅させたいんだ。おまえのひいおじいさんは髪を引きずられて無理やり洗礼を受けさせられたが、毎週土曜日にシャツを着替えていたという理由でのちに拷問にかけられた」
「そうだ」
「なりたくないよ・・・そんなものには」
「オレンジの木がオレンジ以外になれるかい? ライオンがライオン以外の動物になることなどできないだろう?」
「だけど、ぼくらはれっきとしたキリスト教徒じゃないか。それに・・・ユダヤ人は裏切り者だ」
「では、我々が裏切り者だと言うのかい?」
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人なんだから」
「わたしが彼を殺したと言うのかい?」
「違うよ・・・そんなわけないじゃない。でも、ユダヤ人は・・・」
「わたしはユダヤ人だよ」
「ユダヤ人はイエスを殺し、十字架にかけたんだ」
「だったら、おまえが殺したのかい? おまえはユダヤ人なのだから」
「違うよ、ぼくが殺したんじゃない!」
「おまえが殺したのでもなくわたしが殺したわけでもないとなると、〝ユダヤ人〟つまり〝ユダヤ人全部〟が罪人ではないことは明らかだ。それに、いいかい。イエスは我々と同じユダヤ人だったんだよ。イエスを崇拝している人々の多くがイエスの血を、彼のユダヤ人としての血を憎んでいる。実に矛盾したところがある。ユダヤ人一人ひとりがどれだけイエスに近い存在であるのか、彼らにはそのことがまったく理解できないんだ」
「それじゃあ、父さん、ぼくらは・・・つまりユダヤ人はイエスを殺していないの?」
「わたしはイエスの逮捕はもちろん、彼に対する偽証にも加わっていないし、磔にだってしていないよ。おまえはそんなことをしたかい? わたしの父は? 祖父は?
福音書では〝数人の〟ユダヤ人たちがイエスの死刑執行を要求したと書かれているが、〝ユダヤ人全員が〟とは言っていない。なぜなら、もしすべてのユダヤ人がというのならば、そこにイエスの使徒たちや聖母マリア、マグダラのマリア、アリマタヤのヨセフなど、いわば初期のキリスト教共同体を形成した者たちも含まれてしまうからだよ。ユダヤ人であるイエスを捕らえたのは、当時ユダヤ王国を支配していたローマの権力者たちさ。ローマ人こそが牢獄で彼を拷問にかけた。イエスを、ユダヤの王を騙る人間だと中傷し、同胞たちを解放しようとした一人のユダヤ人を嘲笑しようと茨の冠を被せたのも、ほかならうローマ人たちだ。それに磔刑だって彼らによって発明されたものだよ。十字架で死んだイエスと盗人だけじゃない。イエスの生まれる前から、そして彼の死後、かなりの歳月が経過するまで、何千人ものユダヤ人が磔にされて殺されたんだ。イエスの右脇腹に槍を突き刺したのもローマ人だし、彼の衣服を分配しようとくじで決めたのもローマの兵士たちだった。一方、慈悲深い態度でイエスの亡骸を十字架から降ろし、立派に埋葬したのはユダヤ人たちだった。イエスを忘れないように彼の教えを広めていったのだってユダヤ人たちだった」
「じゃあ、どうしてユダヤ人は責められるの?」
「我々が服従せずに抵抗するから、憤慨しているのさ」
「ユダヤ人はイエス・キリストを認めないから?」
「争いの焦点は宗教ではない。キリスト教徒は我々の改宗を願っているわけじゃない。それなら話は簡単だったろう。すでにユダヤ人社会全体を改宗させたのだから。本当はね、彼らは我々の全滅のために戦っているんだよ。何が何でも絶滅させたいんだ。おまえのひいおじいさんは髪を引きずられて無理やり洗礼を受けさせられたが、毎週土曜日にシャツを着替えていたという理由でのちに拷問にかけられた」
マルコス・アギニスはユダヤ人として差別された経験を持ちます。
この会話はおそらく何度も自問したことではないでしょうか。
マルコス・アギニスは現在は不可知論者だそうです。