三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

NHKスペシャル取材班『戦慄の記憶インパール』

2020年05月01日 | 戦争

吉田裕『日本軍兵士』によると、第二次世界大戦での戦没者は軍人・軍属が230万人、民間人が80万人、合計310万人。
1944年1月以降の総戦死者は281万人と推測される。
戦争の終結が遅れたために、多くの人命が犠牲になった。
ちなみに、日露戦争の戦死者が約9万人。

近代の戦争では、戦病死者が戦死者をはるかに上まわったが、次第に戦病死者が減少し、日露戦争では日本陸軍の戦病死者の占める割合は26.3%に低下した。
ところが、日中戦争では、1941年の時点で戦病死者の占める割合は50.4%だった。

藤原彰さんによると、栄養失調による餓死者と、栄養失調に伴う体力の消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は140万人(全体の61%)。
秦郁彦さんは37%という推定餓死率を提示している。

海没者(艦船の沈没に伴う死者)は軍人・軍属が35万8千人。
船舶による軍隊輸送では、熱帯地では坪当たり2.5人が理想だが、5人になることがあった。
船倉に詰め込まれ、甲板の出入り口には古参兵がたむろしていたので、新兵は自由に甲板に出られなくて、熱射病などで多くの兵士が死亡した。

還送戦病患者(内地の病院に送還された患者)に占める精神疾患患者の割合は、1937年が0.93%、1940年が2.90%、1943年が10.14%、1944年が22.32%と、急激に増えている。

郵便検閲で摘発された兵士の手紙に、「戦地に三年三ヶ月もいれば故郷へ帰りたい気持ちばかりです」と書かれている。
そんな状態ですから、1940年の宜昌作戦では、第34師団歩兵第216連隊において38名の自殺者を出したのも当然なのかもしれません。

9万人のうち3万人が死亡したといわれているインパール作戦(1944年3月開始)のドキュメンタリーを書籍化したNHKスペシャル取材班『戦慄の記憶インパール』に、元少尉がこんなことを語っています。

牟田口廉也司令官が作戦会議で「どのくらいの損害があるか」と質問すると、ある参謀が「5千人殺せば陣地を取れると思います」と答えた。
敵を5千人殺すのではなく、味方の損害が5千人ということだった。
つまりは兵士はモノ扱いにし、部下の命よりも自分の手柄のことしか考えていなかったわけです。

インパールまでの距離は400km。
与えられた食糧は3週間分。
3週間で攻略するとすれば、武器、弾薬、食糧を40kg背負って、峻険な山道を1日19kmを進まなければいけない。

牟田口廉也司令官は「インパールは天長節(4月29日)までには必ず占領してご覧にいれます」と言っていた。
天長節までだったら6週間から7週間だから、3週間分の食糧では足りない。
食料や武器の補給は最初から考えていなかった。

兵站とは「軍隊の戦闘力を維持し、作戦を支援するために、戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食料などの整備・補給・修理などにあたり、また後方連絡線の確保などにあたる機能」(『日本国語大辞典』)ということ。

日本軍は兵站を軽視していた。
インパール作戦が始まる1年前の1943年4月、小畑信良少将は、戦闘の支援が困難であり、部隊が孤立するとして、「実施せざるを可とする」と報告して更迭された。

戦後、牟田口廉也はこう語っている。

補給が至難なる作戦においては特に糧秣、弾薬、兵器等のいわゆる〝敵の糧による〟ということが絶対に必要である。放胆な作戦であればあるほど危険はつきものである。

「敵の糧による」とは、村から食糧を徴発し、イギリス軍から武器を奪うこと。

ジンギスカン作戦を牟田口廉也司令官は発案した。
村から徴発した牛や羊などを引き連れて行軍し、食料にあてるというものである。

食糧そのものが歩いてくれるものが欲しいと思いまして、私、各師団に一万頭ずつ羊と山羊と牛を携行させてやったのでございますが、それが実は途中でその動物が倒れまして、実際にはあまり役に立ちませんでありました。

牛や馬は川を船で渡るのを怖がって、川に落ちて流されたものが多かった。
牛に荷物を運ばせようとしても、背中がコブのように突き出ていて、乗せるのが難しく、悪路を進むのも嫌がった。
そのため、渡河から一週間で牛を放棄した部隊が多かった。

日本軍は糧秣・弾薬等の手配を軽視し、精神論に頼っていた。
それに対し、イギリス軍は万全の補給策を練っていた。
武器や食糧、医薬品など、一日250トンもの物資を前線に投下できる体制を整えており、連日100機もの輸送機を飛ばして、一日100トンを超える軍需品を空輸した。

『日本軍兵士』にこんなことが書かれています。
戦場では歯磨きをする余裕がなかったので、非常に多くの将兵が虫歯にかかっていた。ところが、歯科医が少ないために治療を受けることができなかった。
兵士の7~8割が虫歯や歯槽膿漏だったとされている。
行軍中は靴を履きっぱなしだから、水虫も蔓延した。
軍服や軍靴はぼろぼろで、裸足の兵士もいた。
軍装も不足し、小銃を持たない兵士もいた。

『日本軍兵士』には、他にも唖然とすることがたくさん書かれています。
こんな状態で戦争したものだと、ある意味、感心します。

インパール作戦についての感想。
目の前のことしか考えず、全体を見てない。
根拠のない楽観論を振りかざす。
人間をモノとしか考えない。
相手(イギリス軍)を軽視する。
現場の報告を無視する。
精神論で解決すると思っている。
上官の思いつきに部下の多くは反対しない。
反対した部下は左遷させられる。
責任の所在が曖昧。
現在の政治状況と似ている部分が少なくないと思いました。

コメント
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