三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

門田隆将『オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり』

2019年11月09日 | 

「週刊新潮」は河野義行さんを松本サリン事件の犯人扱いし、ボロクソ書きました。
他のマスコミは謝罪したのに、新潮社は謝罪していません。
1995年に門田隆将氏は週刊新潮の特集部デスクだったそうです。
『オウム死刑囚 魂の遍歴』は松本サリン事件についても触れていますが、「週刊新潮」が河野義行さんを誹謗中傷したこと、いまだに謝罪していないことは書かれていません。
そんな門田隆将氏にオウム真理教について書く資格があるのかと思います。

井上嘉浩さんが逮捕されてしばらくして、公安の警部補から門田隆将氏に電話があり、取調中の井上嘉浩さんのことを警部補から聞いたと、『オウム死刑囚 魂の遍歴』の冒頭に書いています。
警察がマスコミに内部情報をもらしたわけです。
いくら警部補が死んでいるからといって、実名を出すのは職業倫理にもとるのではないかと思います。

坂本弁護士一家が行方不明になった際の捜査がおざなりだったこと、オウム真理教への捜査が遅れたために地下鉄サリン事件が起きたことなど、警察批判も書かれてはいます。

気になったのが、井上嘉浩さんを美化しすぎているように感じたこと。
麻原彰晃に疑問を持ち、批判的だった。
教団の地位はさほど高くなく、影響力もない。
多くの事件について知らなかった、など。

本当だろうかと思ってしまいます。
というのも、裁判における井上嘉浩さんと他の被告の証言に食い違いがありました。
みんなが嘘を言い、井上嘉浩さんだけが真実を語ったのでしょうか。
ウィキペディアを見ると、井上嘉浩さんに批判的なことが書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%98%89%E6%B5%A9

門田隆将氏は井上嘉浩さんが罪を悔い、償おうとしたことを強調しています。
他の死刑囚は自分の罪を悔いていないのかと思ってしまいますが、そんなことはありません。

それと、井上嘉浩さんは真宗に帰依したそうですが、瞑想などがやっぱり好きなようで、念仏一つだとは思えません。

文句ばかり書きましたが、そうなのかと思ったことが一つあります。
1988年(昭和63年)、麻原彰晃たちがカーギュ派のカール・リンポチェと会った時のことが書かれています。
上祐史浩氏の話。

麻原がリンポチェ師に質問するわけです。自分はこういう体験をした、こんな瞑想体験をした、と。すると、リンポチェ師はそれに対して、すばらしい体験だと称賛するんじゃなくて、体験は解脱ではないんだ、というわけです。体験をコントロールできることが解脱なんだと、くり返し言うわけです。
それに対して、麻原は非常に不服そうでした。麻原オウムというのは、神秘体験中心主義みたいなところがあって、そういうところで麻原は自分の体験を認めてもらいたい、その価値を確認したいという気持ちがあったんだと思うんです。しかし、リンポチェ師に話したら、それは解脱じゃないんだよ、ということで、諭すように言ったわけです。

麻原彰晃が神秘体験を重要視していたことがわかる話です。
同時に、神秘体験と覚りとは別だということもわかります。

それにしても、麻原彰晃は片目が見えず、もう片方が弱視なのに、ヨガなどについてどうやって学び、修行法を編み出したのか不思議です。

コメント (7)
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